ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

外省人

f:id:bokenkozo:20180522160947j:plain

台湾にはざっくり分けると、1945年8月15日以後に中国大陸からやって来て、台湾に定住した「外省人(ワイセンレン)」とその前から台湾に住んでいた「本省人(ペンセンレン)」、そして外省人よりさらに前に中国広東省から移り住んだ「客家人(カーチャーレン)」と台湾の原住民「山地人(サンディレン)」の人々が暮らしている。
今や外省人の2代目・3代目の中には、中国大陸に足を踏み入れたことのない人も多く、台湾で生まれ育った本省人と同じく中国福建省の福建語の流れをくむ「台湾語」と呼ぱれる言葉を巧みに操る人も多い。
それこそ「外省人」、「本省人」と分けること自体を嫌がる人もいる。

台湾の公用譜は『国語(くぉゆぅ)』と呼ばれる、中国の『普通話(ぷーとんふぁ)』にあたるものなのだが、客家人客家語、山地人は山地語という日本語に似た言葉を家庭内では話している。
公用語の国語でも、本省人の国語は台湾語が少し混じってしまうのか微妙に平たく聞こえる。例えぱ、「日本」のことを「リーベン」と「リー」の音を舌を反らして発音する普通話に対して、「ズーペン」と間こえる……こんな具合だ。
私はこの本省人の平らな中国語を親しみを込めて「台湾国語」と呼んでいるのだが、それなら初代外省人が正統な普通話を話すのかというと、それも大きな間違い。彼らは広大な中国大陸のあちこちから来た元軍人がほとんどなので、その地方地方の方言や発音が混じった言葉なのだ。

近くに住む外省人のおじいさんに、お茶に招かれた時のこと。おじいさんは貴州の出身で訛がひどく、台湾国語に慣れきっている私は苦戦。
「どうした? 普通話が分からないのか?」
訊かれたので、
「あなたの訛が強いので、分かりにくいんです」
バカ正直に言い放ったため、すっかり機嫌をそこねてしまった。おじいさんは
『自分の話す言葉は正統な普通語である』と竪く信じ、微塵も疑っていないのだ。
私にしてみれぱ、関西出身の友人から
「私のはなし言葉の、どこが大阪弁やねん?」
と言われているような感じなのだが。

初代の外省人には彼ら共通のファッション? がある。
まず野球帽、これは孫あたりからのお下がりのことが多く、今をときめくKCやアメリカ大リーグのチームロゴがついていたりする。ただ、ご本人はそれがなんだかわかっていないことがほとんどだ。
そして決め手はなぜかカーキー色のジャンパーだ。軍人時代を懐かしむのか? 草色は灰色とともに人気が高い。
初代の外省人達もかなりのお年頃? になっていて、近頃はなかなかみかけることも少なくなっているかもしれない。
彼らは中華民国のために戦い、今でも中華民国という国に生きていながら、なぜか住んでいた自分の家が中華人民共和国になってしまったがために、どこか外国人のような扱いを受けてきたようだ。

本省人達は両親が日本時代の教育を受けていたこともあるのか、日本語を学ぶことに抵抗がないようだ。外省人達は日本語よりも英語を好む人が多いのかもしれない。英語のみで仕事をする環境で働いていた時、香港で知り合った台湾の同僚は(ほとんどが2代目だが)比率からいうと半々くらい。台湾での本省人70%、外省人13%という比率を考えると圧倒的に外省人が多いことになる。
また、私が台湾で住んでいたのが、客家人外省人の軍人さんが多く住む町だったこともあり、相当彼らとは慣れ親しんだ。
台湾で友達がいなくて寂しかろうと、何の縁もゆかりもない外国人の私をお茶に誘ってくれたりするのだ。
そんな心優しい外省人達は、もしかしたら50年前の自分の境遇を私に重ねてしまっているのかもしれない……?