ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

ラダックのオンボさん

 

インドのジャンムー・カシミール州ラダックの町レーで『オンボ』という占い師に会いに行ってみたことがある。

ラダックにはいわゆるシャーマンや呪術師と言われる人と占星術師の2つのタイプの占い師がいる。シャーマンは男性ならば『ラバ』、女性ならば『ラモ』と呼ばれ、占星術師は『オンボ』だ。
ラダックといえばチベット仏教が盛んなところであるが、占星術や占星図の星の位置はチベットでも日常生活に重要な役割を占めていて、60年サイクルの各年にふり分けられた十二支と五行の組み合わせによる吉凶を『
ツイーパ』と呼ばれる占星術師が読み取ったりする。『ツイーパ』がつまり、ラダックでは『オンボ』なのだろうと思う。

チベット占星術は、『密教占星術』として限られたラマ高僧達に伝承された。日本でも何冊か本が出ていて読んではみたのだが、頭が痛くなっただけでチンプンカンプン。活用するところまでは至らなかった。インド占星術や六十干支等の中国暦の影響も受けつつ、チベットの風土と融けあったものであるような感じはした。
しかして、ダライ・ラマの即位から長い旅への出発まで、重要な事柄はすべてこの占星術で吉日を定められるというのだからあながち軽視もできないだろう。

ラダックの人々は夫婦喧嘩をした、家族が病気だ、仕事が上手くいかないといってはオンボのところへ行き、その都度アドバイスを求めるという。

オンボさんは英語を話さないので通訳さんに連れられて行ったのだが、お寺かと思ったら普通の家で、そこへお坊さん風の袈裟を着たオンボさんがやってくるというシステム?だった。
生年月日、生まれた場所と時間の情報を
あらかじめ伝えておいたのだが、やってきたオンボさんはチベット語で書かれた分厚い本をめくりめくり、何かを計算しはじめ、しまいにはカルマが身体のどこにあるか調べるための資料を持って来てないのでわからないとか言い出す始末。
「これじゃべつに、前もって伝えておく意味ないんじゃ?」
などと思ったりもした。
『カルマが身体のどこにあるか』ということ自体、私もよくわからないのだが……たとえば膝にあると「あちこち旅する」とか運命が変わってくるらしい。

さて、計算の結果、オンボさんが私に教えてくれたのは以下のようなこと。

◆生まれつきの性質
◆生まれついての身体的特徴(ほくろがどこにあるか)
◆人生における障害の数、あといくつ残っているか
◆来世について
◆何歳まで生きるか、死ぬ時はどのように死ぬのか
 

である。
これに加え、私は各分野でのパートナーとの相性が知りたくて行ったので、これも教えて貰った。

面白かったのは、例えば

生まれつきの性質

◇人に良くして、良いことをするが、人からはそれを返してもらなえない
たくさんの人に囲まれているのに、なぜか1人孤独である

 

こんな託宣をたまわったとしよう。「だったらどうすればよいのか?」という疑問は普通にわくではないか。しかし、「それは前世の行いのせいだから」という答えなのだ。
「頑張ってなにかすれば、変えられるんじゃ?」
さらに食い下がってみたくなるところなのだが、それは不明なのだそう。
解決策、アドバイスともにないのである……。

相性

相性は『心』、『身体』、『外に吹く風』という3つのポイントから見ていく。必要なのは相手の誕生日のみ。

 

3つのポイントすべてで相性が良くても、近づきすぎるとお金儲がはかばかしくないなどという相性もあるようだ。

来世

次に生まれる時は、反時計回りにコルラをする一族になる

 

輪廻転生が当たり前のチベット仏教なので来世のことを言われたとて別に驚かないのだが、こんな風にはっきりもう決められているとはびっくりした。
コルラとはぐるりと回って歩くという意味のチベット語で、お寺や神聖なる山などの周囲をぐるりと歩く巡礼、お参りの方法をさす。
コルラは普通、太陽の巡りにならって時計回りに回るのだが、反時計周りにコルラする人達がいる。ボン教徒だ。
チベット仏教以前にチベットで行われていた宗教がボン教で、チベット仏教とは兄弟のようでありながらも、インドのお釈迦様系の仏教を取り入れたために、どっちでもないような不思議な位置づけになっている宗教である。
ボン教教団の総本山はチベットにあるメンリ僧院だが、総本山のメンリ僧院文化大革命で壊されてしまい、今は北インドヒマーチャル・プラデシュ州SolanにあるThe Menri Monastery 
その機能を移している。
ボン教信者は中国の四川省にも多いし、総本山があるからといってそこに輪廻転生するとは限らないけれど、ある程度地域が絞られるというのもこれはこれで楽しい気がする。
機会があればSolanに行ってみて、来世暮らすのであろうところを見てみたり、子供達を見ては
「もしかして、この子が来世の私のお母さんかも」
とか想像してみたりするのも楽しそうだ。

ただし、ボン教徒に生まれ変わるのには前提条件があって「仏像を作れば」である。
「は? 仏像?」
んなもん、作らないよ普通。無理無理……と思ったので聞き流して帰ってきてしまったのだが、後日ラダックの友人にきいたところによれば
「市場で仏像を買って、お坊さんに魂入れをしてもらうだけのことだよ」
と。そんなことならしてくれば良かったと思ったが、後の祭りだ。
では、仏像を作らずに今生を終えるとどうなるかというと、来世は鳥になるんだそうだ。

輪廻転生のために仏像を作る以外にお坊さんに告げられたのは、オン・マ・ニ・ペ・メ・フムとお経の書いてあるカラフルな旗を買ってお寺に持って行き、お坊さんにお祈りしてもらって、山などの風の吹くところに結びつけてハタハタなびかせろというもの。
旗を買ってレーのジョカン寺に行って、お経をとなえてもらうところまでは言いつけ通りにしたのだが、山に行く術がなかったので日本に持って帰って窓辺の風が吹くところに縛り付けてヒラヒラさせておいた。

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ところが、先日ラダックの友人に
「それじゃダメだよ! 旗が風に舞って飛んでいかないと意味がない」
叱られ、慌てて窓の外側にとりつけ直したりした。
台風が来ても、大雨が降っても、相変わらず旗は窓の外でいまだにヒラヒラして……てんでダメなのである。
ま、気長に待つことにしよう。

<2017年10月19日>モロッコから戻って来たら、旗なくなってた!