ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

看板に偽りはあたりまえ

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タルカトラ庭園の吟遊詩人さん

 

「わっ、黒い絨毯みたい」
インド・デリーの鉄道駅で思った。
駅の構内に1歩足を踏み入れるとそこには人、人、人。
ほとんどが、ござのような物の上に座りこんでいる。老人もいれば子供も女性もいる。いびきをかいて寝ている人もいる。電車を待っている人も中にはいるのかもしれないけれど、どうみてもほとんどがそこで生活している風だ。
彼らよりは少しだけ薄い肌の色が珍しいのか、起きている人の視線が一気にわっと私に集まる。インド人が人を見る時に『ちらり』という形容は、まったく当てはまらない。『じいっ』と、こちらに穴が開いてしまうのではないかというくらいに見すえるのが常だ。私は「ガン見」と呼んでいる。
人々のじっとりとした視線をもろに受けながら1等車専用切符売り場へと向かう。ここももちろん人だらけ、それでも彼らにとって、切符売り場は生活する場所にはなり得ないようで、座りこむ人はいても寝ている人はいない。なかなかみんな、わきまえているのである。

インドには『並ぶ』という観念自体が存在しないのか、少し油断するとすぐ割り込みにあう。単に切符を買うだけのことなのに、前でも後ろでも
「お前より先に、俺が来てたんだ」
「俺の方がお前なんかより、ずっと前からここにいるんだ」
言い合う声が響く。
そんな中で声高に叫ぶ勇気のない一般庶民は前の人との距離をなるべくあけないように、それでいて体が触れないぎりぎりという難しい距離を保ちつつ、詰めて詰めて順番を待つ。
1時問も並んだだろうか、やっと窓口に辿り着いてガラス越しに大きな声で叫ぶ。別に怒っているわけではないが、叫ばないと周囲のざわざわというさざなみのような騒音と、横入りの攻防を続けるいさかいの声でかき消されてしまうのだ。

「アグラまでの1等切符をお頭い」
そう言っている私のすぐ横で、おばさんが
「急いでいるんだけど、あなたの前に入れてくれない?」
と声をかけてきた。
どうしても急ぎの用なら今順番を待っている人に頼むべきであって、今まさに切符を頼もうとしている私にお願いしてしまうのは、どう考えても違うのではないか。
「みんなも並んでいるんだから...」
と言葉を濁すと、まわりの人も
『そうだ、そうだ』と言いたげに大きく肯く。おばさんは諦めたかと思いきや、後ろの太っておなかがでっぷりと出ているおじさんに、同じ言葉を繰り返す。
おじさんにも冷たくあしらわれたおばさんが、今度は割り込み強行手段に出たらしい。列に入れまいとするおじさんがどんどん私の方に話めてきて、おじさんのおなかが私の腰のあたりをぐいぐい押す。そうでなくとも気温は40度近くあるのに、入ごみにおじさんのおなかの温もりまでもが加わって暑苦しさ倍増だ。

『我慢、我慢。これさえ済めば快適な1等車』自分にそう言い聞かせつつ、窓口とおじさんのおなかのにはさまりながら、切符が出てくるのを待つ。コンピューターで管理されているらしいが、手札サイズの切符の印刷にやけに時間がかかる。やっとこさっとこ切符を手に入れた。
列を離れると腰のあたり、おじさんのおなかとスキンシップをしたところが、汗でじっとりと濡れている。
『今さっきそこの水道から汲んで来ました』という水をペットボトルに詰めて、『ミネラルウォーター』と称して売りさばく子供達の間を縫いながら目的の列車にすべりこむ。

1等とはいえども、エアコンも扇風機もない列車のコンパートメント。それでも乗り込めたのでほっとひと息。いちいち中を覗いてガン見していく人が多いので、ドアも締めて百葉箱の扉のような窓だけを開ける。
しばらくして検札に入ってきた車掌に切符を見せると、おじさんのおなかとのふれあいに耐えて1時間も並んだのに、それはまさしく2等の切符であった。
仕方なく2等車に移動してみたものの、荷物用の網棚に人が寝そべっていたりしてなんだかもの凄い風景だった。

後日、インド出身のインド人の友達に
「やだぁ、あなた勇気あるわね。私だったら絶対買い直すわ。絶対、2等になんか乗らないわよ」
とまで言われてしまった。
1等車の切符売り場に並んだので、1等の切符が買えると思っていたのが敗因だった。そう、ここは1等車専用切符売り場でも、2等車の切符を掴まされてしまう国インドなのである。

1995年10月の冒険