インド映画ロケ地巡り Padmaavat
ヒンディー映画「Padmaavat」(2017)
配役:
Rani Padmavati 役:Deepika Padukone
Rawal Ratan Singh役:Shahid Kapoor
Alauddin Khilji役:Ranveer Singh
Jalaluddin Khilji役:Raza Murad
ネタバレしない程度のあらすじ:
舞台は13世紀のアフガニスタン。デリーの玉座を狙うJalaluddin Khilji(ラザー・ムラード)は配下の武将Alauddin Khilji(ランヴィール・シン)を娘婿として迎える。しかし、野心に燃えるAlauddinは機を見てJalaluddinを暗殺、スルターン(王)となる。
時を同じくして、メルワール王国の王Rawal Ratan Singh(シャイード・カプール)は王妃のために真珠を求めてシンハラ王国を訪れていたが、鹿狩りの際に誤ってRatanに怪我をさせてしまったシンハラ王国の王女Padmavati (ディーピカー・パードゥコーン)と恋に落ちて結婚。Padmavatiは、メルワール王国の都・チットールにある城にやってきて第二夫人となる。
Padmavatiにちょっかいを出そうとしてメワール王国を追放されたヒンドゥ僧侶にPadmavatiの美しさを吹き込まれ、手に入れてこそ本当のスルタンだと焚きつけられる。AlauddinはPadmavatiをデリーに招くが拒絶され、チットールに出向くがチラ見のみしかできず、イライラしたAlauddinはRatanを捕えて牢に閉じ込める。Alauddiの妻の手引きもあって、Padmavatiはイスラム教のお祈りの時間を狙ってRatanを取り戻すのだが、これ以降AlauddinはPadmavatiを奪うべく、チットールに攻め込み、城を包囲する。とうとう二人は決闘を……
小僧的視点:
1540年にスーフィーの詩人であるMalik Muhammad Jayasiが発表した、同名の叙事詩が題材になっている映画……というタテマエにはなっているが、実際は史実に基づいた話なのである。
この映画で私が一番気になったのは、お気に入りの役者二人Shahid KapoorとRanveer Singhが大変良い演技をしていたことではなく『手形』であった。
動画の中に出てくる、戦へ出向くラジプートの王の支度を妻が手伝うこのシーン。
赤い色粉を手のひらにつけ、さらしのような白い布に点々と手形をつけさせる。いったい何の戯れなのだろう? と公開前この歌がリリースされた時点で不思議に思った。
手形ではっと思い出したのは、ジョドプールにあるMehrangarh Fortのものだ。
先だった夫を追って、生きたまま火の中に身を投じる「サティー(寡婦殉死)」を行った15名の妻たちの手形がこうして、ローハ・ポル門脇の壁にかかげてある。
妻たちは沐浴した後、花嫁衣裳に着替えてサティーを行うときいたことがある。この世での婚姻関係を終え、夫への貞節を守る……という考え。7回生まれ変わっても同じ人と結婚すると信じられている、インドならではだ。
中世以来、マハラジャやラジプートの間で行われたサティーは、1847年にジョドプールでは廃止されたもののラジャスタン州シェカワティ地方では20世紀以降も頻発している。ラジャスタンでは今も寡婦は粗末な食べ物しか与えられず、服も地味な色を着なくてはならない。寡婦が不吉な存在とされる迷信や、女性の地位の低さがサティーに結びついているともきく。
サティーはもともと「貞淑な妻」を意味する言葉で、古代叙事詩『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』にもこの記述がある。それぞれ貞淑の証として、火による自殺を図った女性が登場する。
『ラーマーヤナ』ではランカー島の王ラーヴァナによって誘拐されたラーマの妻シーターが、救出された後に貞操をラーマに疑われ、聖火に飛び込むが火傷を負わず、ヒンドゥーの火の神アグニが現れて潔白が証明された。
『マハーバーラタ』ではシヴァの妻サティーが、自分の父・ダクシャが神々を招いて盛大な供犠祭を催す際にシヴァを招待しなかったことに激怒したサティーが焼身自殺。後にサティーはヒマラヤの娘パールヴァティーに転生し、再びシヴァの妻となる。サティー慣行の起源を女神サティーに求めるものもいる。
パールヴァティーとPadmavati、なるほどなとタイトルが腑に落ちると同時に、サティー→ジョウハル( जौहर/ Johar)……と歴史を知らなくてもオチがわかってしまう瞬間でもある。
ジョウハルは戦において敗北が決した際の侵略者による略奪や奴隷化・レイプをされるくらいなら……と女性が集団で焼身自殺を行うSakaという儀式のこと。ヒンドゥー=イスラム間の戦争におけるラジプート族が起源だと言われている。
ただ、戦に出向くRatanにPadmavatiが手形を押させるということは、Ratanが戦火に焼かれることが前提もしくはその手形をRatanと見立てて自分がサティーもしくはジョウハルを行うということで最初から負け戦を予想していたことになりはしないか? という疑問がふつふつと浮かんできてしまう。
こんな頭でもってジャイプールをブラブラしていると、ショッピングモールでこんな傘のディスプレイを見て
「傘に手形? すわっ、サティー?!」
ひとり驚くことになるわけなのだが、もう1か所サティのお膝元シェカワティ地方でも手形を見たことがある。
マルワール商人の邸宅(ハヴェリ)の壁にこれを発見し、恐る恐るガイドさんに訊ねてみたところ、この家には四人の娘が居て嫁に出したという意味なのだと教えられた。
これを思い出してストンと来た。
戦に出かけるRatan、天国へ旅立つサティー敢行の妻たち、嫁ぎ先へと家を去るメルワール商人の娘たち、そして傘を持って家を出るジャイプールの手形模様の傘。
インドにおける「手形」には「出ていく」という意味があるのかもしれない。
その昔、Ranveerが「オマエはかっこよくないんだから、演技で頑張らないと」デビュー当時先輩に言われた話を披露していたが、Bajiraoといい今回のAlauddin Khiljiといいその通りの展開になってきている。
Ranveer Singh talks about being the Most Desirable Man
さて、ロケ地。
Jaigarh Fort (Jaipur)
題材が歴史上の実在の人物であり、その人物の名誉を棄損する! と末裔だといわれるKarni Senaというグループが上映反対を主張してロケ現場で撮影を妨害、急進右派政党の政治家までもが異論を唱え、主演のDeepika Padukoneには殺害予告まで出されたという経緯があった。
そのため、舞台はChittor Fortでありながら実際に撮影がされたのはジャイプールのJaigarh Fortであった。ここへも反対者が押しかけて撮影が出来ず、役者たちは折衝の間じゅう延々待たされたというニュースも読んだので間違いない。
Jaigarh Fort以外はロケではなく、ムンバイのセットということなので……この反対運動やら嫌がらせさえなかったら、ラジャスタンの素敵な砦が舞台になったんだろうなぁと思うとちょっと残念ではある。