ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

ナゾの無花果②

パレスティナでも謎は解けないまま、私はイタリアのシシリー島へやってきていた。

モン・レアーレという街のドゥオーモに『キオストロ』なるノルマン・アラブ様式の回廊を見に行った時のことだ。1本1本違う模様のモザイクがほどこされた柱を眺めてそこを出ると、そばの八百屋にまたしてもあの無花果を発見。
ミラノでもパレスチナでも赤味がかっていたのに、今回のは緑色と黄色で赤色はない。

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毛の生えた黄色い桃と並んで置かれる無花果たち。なんだか物凄くマズそうな色合いなんである。
ちなみに私はこの手の毛の生えた桃が大好物で、勝手に「毛桃(けもも)」と名付け、ツルツルのネクタリンとは一線を画している。(←どんな一線なんだよ)

「すいませーん」
呼びかける声に、満面に笑みをのせた店主が店先まで出てくる。
「これなんですか?」
お客が来たとばかり思ったのに、そこに立っていたのは全然買う気などなさそうな、好奇心だけを剥き出しにした私である。一瞬『やれやれ』という顔になったものの、さすがそこは太っ腹のシチリア人。
「Fichi d' India (フィーキ・ディンディア)」
面倒くさそうな表情が容易に読み取れたのは確かだが、それでもなんとか教えてくれた。Fichi d' Indiaというイタリア語をそのまま訳すと、「インドの無花果」である。赤だったり赤じゃなかったり、黄色だったり、緑だったり……見るからにアヤシゲな風体といい愛すべき”あの”インドにかぎりなく通ずるものを感じではないか。

モン・レアーレを後にした私は、トラパーニを目指す。その道の途中でもまたしてもインドの無花果に遭遇したので、いったいいくらぐらいするものなのかと車を停めてみた。
ここではオジサン達が道端で、大きな木箱に詰まったインドのいちじくを売っている。店の構えはなく、車に木箱を積んで来ては
「よっこらしょ。今日はここで売りさばくか」
というイメージである。
訊ねてみれば、木箱ひとつは10kgで10000リラ(※1997年当時で700円程度)。もちろん、「3個ちょうだい」といって売ってくれるほど世の中は甘くない。木箱ごと買わねばならないのである。
仕方が無いので、すごすごと引きあげようとすると
「いーから、おいでおいで」
オジサン達に引き留められた。
3個売ってくれるのなら買おうではないかと財布を取り出してごそごそしていると、ぽんと小さな黄色いインドの無花果を手渡してくれた。
見かけは色の濃い小さめのパイナップルみたいである。
キョトンとしていると
「食え、食え!」
とオジサン達は口々にイタリア語で言う。
ここまで来ると、食べない訳にはいかないではないか。恐る恐る口に入れてみると口の中でぐんにゃりとした感覚が広がり、噛んでいるうちに小さな粒粒が口の中に残る。
そう、イメージとしてはいちじくよりも、ざくろを食べた時に限りなく近い種が邪魔感。そして味はといえば、はっきり言って石焼きイモである。
全国の石焼きイモファンにならわかって貰えると思うのだが、焼きイモは冷めるとマズイ。しかも堅くなって来る。
しかし!このインドの無花果は果物なので、当たり前だが冷たい。にもかかわらず、ねっとりまったりした味といい、柔らかい舌ざわりといい……
「ウマイか?ウマイか?」
と詰め寄るオジサン達に向かって
「とてつもなくおいしーい!」
幸せな気分で叫んだのであった。

トラパーニで1泊しアグリジェントへ。
アグリジェントの遺跡、入り口脇の木陰に腰を降ろして呆けたようにまわりを眺めていたら、巨大サボテンがにょきにょきと神殿の脇に生えているのが目に止まった。

サボテン科の植物全部をサボテンと言ってしまっているが、本来はウチワサボテン属の一種につけられた名前がサボテンだったらしい。
メキシコはもちろん南北アメリカの雨の少ない荒原や高山地帯は、日中はやけるように暑く、夜は凍るように寒い。そんな乾ききった土地で生息しているサボテン。雨の少ない砂漠で普通の植物のように気孔から余った水分などを蒸発していたら、たちまち干からびてしまう。 だからサボテンは葉の代わりにトゲを持ち、くきの中の水分がなるべく外へ逃げ出さないようにしているのだ。このトゲは動物などの外敵から自分を守る他に、茎を覆って砂嵐から身を守ったり、強い太陽の光を遮るすだれのような役目もしているらしい。
トゲが生えているのが葉だと思ってしまうが、実はあれ茎なのである。

さて、ここシチリアのサボテンは、本家本元のウチワサボテンで紛れもないオリジナルだった。 そう言われてみれば、茎の部分が扇ぐウチワに似ている。 その茎の上の部分にぽつんぽつんと赤や緑や黄色のものがついている。
「あれ? サボテンの花??」
トゲにビクビクしながら近づいてみると……いやいや、これは花なんかではない。 どうやら実なのである。

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この実を見た私は
「あっ!」
と叫んでしまった。
これこそ私がシチリアへ来て以来 、 「全国焼き芋ファンの強い味方」 だの「皮をむいたら小振りのパイナップル」などと言い続けて来た、あのインドの無花果だったからだ。
いちじくの正体は、サボテンの実だったのだ。
そして「我が愛すべきインド」とか言っていたのは、大きな勘違いでありこの「インド」というのは、『インディアン嘘つかない』のあのアメリカ・インディアンの「インディアン」であった。
コロンブスのことなど決して笑えない勘違いである。

サボテンなのに無花果とか言って騙したミラノの菓子屋出て来い! イチジクコバチの解説までしてしまった私の身にもなってみろ!
であるが、イタリアではサボテンの実はFichi d' India(インドの無花果)なので、「えーっと、Fichiだから英語ではFigよね」ということだったんだと思う。

ちなみに、このウチワサボテンの実はprickly pearと英語では言う。直訳するとトゲだらけの梨となり、梨のような味だからではなくその風体が梨に似ているので名付けられたのだとか。最初の遭遇場所が私はイタリアだったので無花果だと信じてしまったが、場合によっては梨だと信じる人も今後出てくることだろう。(←ないよ!)