ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

鳴くトイレ

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雲南省の勐拉(モンラー)で1泊しようと、いわゆるホテル『賓館』を探していた。なぜ賓館にこだわっているのかというと、1998年当時は下手に小さな宿泊施設に行くと、ライセンスが無いから外国人は泊められないなどと門前払いを受けることが多かったから。
しかし、狭い通りが3本平行に並んでいるだけの勐拉の町に、賓館など存在しなかった。あるのは『招待所』か『旅社』のみ。

バスから降り、荷物を背負ったまま看板を探してウロウロしていると、何をするでもなく路上でたたずむ村の人が
「あそこへ行ったらいい」
と1軒の旅社を薦めてくれる。
うーーーん、旅社かぁ。
なにせ北京で「大旅店」なる旅社にいっぱい食わされたことがある。
どうも気はすすまないのだが……見るだけ見てみよう。
「お風呂は今すぐ入れる?」
「部屋に手を洗うスペースはありますか?」
これが私の、寝る場所選びのための条件。

自他共にみとめるお茶飲みなのと、果物食いなので……お風呂が部屋についていないのはそれほど気にならないが、部屋に手を洗う設備があるかないかはとても大事だ。
しかも、ここまでトラックの荷台でやって来ていて、全身埃にまみれている。今すぐにでも、とりあえず顔を洗いたい気分なんである。

お風呂に関しては今すぐ入れるということだったが、部屋に手を洗える設備はないらしい。
とにもかくにも3階にある部屋を見に行ってみると、ベッド二つが並んだそのスペースには窓が無く……なんとも暗くて牢屋のようであった。ま、部屋はこれでも我慢できないことはない。
『辺境の村なんだから、しょうがないっか……』
自分に言い聞かせてはみたものの、値段を聞いてぶっ倒れそうになった。
60元!
冗談よしとくれだ。
部屋にお湯の出るお風呂がちゃーんとついているような部屋だって、ここまではだいたい20元で泊まって来た。顔洗って出直しなさい! である。
「やめやめ、そんなに高いんじゃ泊まれないよ」
ぷりぷりして出て行こうとすると
「それなら50元でどうだ?」
と声がかかるが、それだってやっぱり高いよ……ぐずぐずと考えていると
「えーーい、それなら40元でどーだ」
やっぱり中国人は商人なんである。グズグズはするものだ。

とりあえず別付けのお風呂場の点検をさせてくれと頼むと、こっちだこっちだと案内してくれるのでついていく。
最初にお風呂場を見せて貰ったが、何やら入り口には檻がでーーーんと置かれていて、その折の中ではイタチがうずくまっているのだった。
『ううむ。こんな檻があっては中へ入れないではないか……』
思った私の心を読んだか、旅社の主人は満身の力を込めてこの檻をずずずっと動かしてくれた。
「きーきー」
何やら不思議な泣き声が、檻から発せられたりして……なかなかワイルドな風呂場なのである。
「お湯は出るんでしょうね?」
確かめると、案の定答えは
「このあたりじゃ、お湯の出る風呂なんてありゃしない」
であった。それでも、何やら湯沸し器っぽいものがあるので
「じゃ、これはなに?」
指さして聞いてみると
「それは、冬に使う」
……ってアンタ、それならあるんじゃないのさ! と憤慨するも、今はとにかく水シャワーのみらしい。
ううむ。

次はトイレ。
ここにもなにやら入り口左手のところに檻があり、黒くて巨大な生き物達がのしのしと檻の中で動いていると思ったらブタだった。風呂場に続いて、トイレもなかなかワイルドであるが……ブタも檻に入っているのなら、それほどビビルこともない。
水洗トイレなんかあるわけがなくボットンでもなければ、『野トイレ』だ。ドアはないものの、とりあえずは囲いもあるから野トイレといっても天井がないだけだ。
『これなら何とかなるかな』
電灯のあることを確認した上で
「30元なら泊まらないこともない」
と言ってみた。
雲南省の9月はピークシーズンではない。他に旅人が泊まっている風でもないこの旅社のおじさんは、しぶしぶながらもOKを出した。

まるで水道のホースそのままのような水だけのシャワーで滝行の気分を味わい、さっぱりとしたところまでは良かった。
「お湯は出ません」
と最初から言われているのだから、文句を言える筋合いではない。
そうはいっても、山あいのこの村の夜は思ったよりも冷え込む。お風呂あがりには持って来ていた荷物の中から、重ね着出来るありとあらゆるものを着て着膨れた。
「ま、こんなこともあるさ」
口笛を吹きつつトイレへ赴くと、あろうことか電球が切れていた。確かに電球があるかどうかのチェックはしたのだが、点くかどうかのチェックまではしなかったのだ。
「しまった、私としたことが!」
とは思ったものの、天空では細い細いすまし顔の月が、あやうい光を放っていた。
「なんとかなるかな?」
目をつぶったり開けたりして暗闇に目を慣らし、月明かりを頼りに所定のポジションについてみる。
青い光がひっそりと私を照らし、そんなに悪い気分じゃない。
しかし、突然トイレじゅうに響きわたった

がさごそっ、ぶひぶひっ

 

泣き声には、びっくりして飛び上がった。
そうであった。幻想的な月影に見惚れて忘れるところであったが、このトイレの脇にはブタの檻があったのである。
「もーー、やだーー。脅かさないでよねー」
などと誰に言うともなくつぶやいて、もういちどしゃがんでみると……暗闇の中は、一瞬しーんと静寂に包まれる。
とその時、今度はなにやら生暖かぁーーーーい鼻息が、檻からではなく、私がしゃがんでいるまさにその下部から沸き起こって来たのである。

うっぎゃーーーーっ

なんとブタたちは檻の中のみならず、便器の中にもひそかに生息しておったのだ。
あまりの驚きに出るものも出せず、私は文字どおり尻尾を巻いてその場から逃げ出した。
意気地がないので
「真下でブタに鳴かれるくらいなら、明日まで我慢しよう」
布団を被って眠りについた。

中国を旅しているうちに、ドア無し仕切り無しや青空などのトイレには慣れていけるように思うのだが……どうもこの鳴くトイレだけは食物連鎖というシステムが頭では理解できても、生理的に無理である。
無類のお茶飲みなだけに朝がとても遠く感じた。
多分、人生でいちばん長い夜だったように思う。