ラクナウとUmrao Jaan
ヒンズー教徒は火葬して灰をガンジス川に流すのでお墓という概念がないのだけれど、もし実在の人物であれば当時完全にイスラム勢力・ムガール帝国のお膝元であったアワド藩王国(現在のラクナウ)だっただけに必ず墓があるはずなのだ。
実際、原作者ルスワーの墓はカンプールにあるが、Umrao Jaanの墓は今のところどこにもない。では、全部が全部作り話なのかというと、そうでもない。
盗賊Faiz Aliという人物は実在し、イギリスとの反乱において中ゴンダ地方のリーダーとして1856年に殺されたという記録があるし、
Azizunbaiという有名なタワイフがタワイフという存在に反対する英国によって辞めさせられた時に、
「私はUmrao Jaanの弟子であった」
と証言していたりもする。
Umrao Jaanがタワイフとして置かれていた『Khanum Jan of a kotha』は、Gol DarwazaとAkbari Darwazaという二つの門の間にあったと記述がある。
地図で見てみると、緑色で印がしてある2点がそれぞれの門、実在する場所なのである。
こうやって地図に印をつけると確かめないと気が済まないのが習い性なので、ラクナウまで行ってみた。
Gol Darwazaはこんな感じ。すぐ横でラクナウ名物のMakhan malaiが売られていた。
Akbari Darwazaはこんな感じ。
つまり、この二つの門の間にKhanum Jan of a kothaはあったはずなのだ。
ちょうどこのあたりだが、勿論取り壊されていて何もない。電線が蛇のように這う小路には、モスクが佇むのみだった。