ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

ナゾの無花果①

ウィンドー・デコレーションはイタリアのお店の魂だ。
たとえば1軒の洋服屋があったとしよう。その店で売られている洋服はすべて、その店のショーウィンドウに飾られていると言っても過言ではない。ためしに
「これと違う色はありませんか?」
ウィンドーの中の服を指さして声を掛けてみるといい。答えは100発95中
「ない!」
である。もし、色違いの服があるのだとしたら、それはさりげなくウィンドウの中に存在しているはず。そこに無い商品はつまり、ないということになる。ただ、サイズに関してはこの限りではない。

ウィンドウにほとんどの商品がディスプレイされているだけに、お店が閉まっている間のウィンドーショッピングがイタリアでは大きな意味を持つようになる。
ラテンの国では今でも真っ昼間は閉めて夕方からまた開けるという店が多い。朝、お店が開いたら閉まるまで開いているのが当たり前の日本人にとっては不便きわまりないけれど、お昼を家族で一緒におうちで食べる習慣がある以上、買い物客も昼間は家でごはんなわけで、店を開けたところで商売あがったりなのだ。
勤め人達は昼休みにキレイに飾り付けてある商品をガラス越しにじっくり下見しておいて、仕事帰りの夕方お店に直行。夕方から開いた店は夜まで開いているので焦る必要もない。

ウィンドウ・ディスプレイが大きな意味を持つラテンの国では、店のこだわりももの凄い。
ディスプレーされている商品を、ちょこっとでもいじくろうものなら
「触わらないでくださいっ!」
怒り心頭に発した店員がとんでくる。
「触らないで!」あらかじめ注意書きが壁に貼ってある店では、非常に不機嫌そうな顔の店員がコツコツと注意書きを叩いて指し示されたり
「チッチッチ」
と人差し指一本を左右に小さく動かされたり、運が悪ければ
「イタリア語が読めないのっ! ちゃんとイタリア語で”触らないで!”って書いてあるでしょ」
という意味らしきイタリア語の罵声が飛んで来ることもある。

ことのおこりはイタリアで非常に重要であるウィンドウのディスプレイからだった。イタリア・ミラノの菓子屋の前、ガラスのむこうで色あでやかな砂糖菓子が私の目を惹きつけた。
「むむむ、この色彩感覚。タダモノではない……」

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感心して見つめること数秒。果物だけかと思いきや、向こう側に見えるのはキノコやらとうもろこしである。菓子屋だというのに甘~いキノコや野菜も作ってしまうのだから素敵だ。
どれどれ一列目には何があるのか見てみよう。左から栗、イチゴ、リンゴ、バナナ……。
このつぶつぶのあるデカイのは本当にイチゴだろうか? という疑問。
私の頭の中にある「お店で売られているいちご」というのは、赤い色をしている。もしくはまだ熟していなかったり、へたの部分が緑色だったりするのは見たことがあるけれど、この「イチゴ」は赤や黄色や緑なのである。
『なんか変だぞ』
この菓子屋のデコレーション、観察してみればなんのかんのと大きさの比率がしっかり守られているのである。バナナは心なしかリンゴより長いし、栗は多少リンゴより小さく作ってある。なのに現実には栗とそんなに大きさが違わないだろう「イチゴ」だけが、どうして数段大きく作ってあるのだろう?

店の中に入ってみると、買い物客でごった返している。何も買わないのに質問だけするといううしろめたさもあったので、しばらく戸の傍にたたずんで客足が途絶えるの待つ。イタリアではごく当たり前の
「ボンジョルノー!(こんにちわ)」
という大きな声の挨拶で店のおばさんの注意を引き、さりげなく世間話風にたずねてみると
「あれはFigじゃないの」
そんなことも知らないのかと言いたそうな顔で答えるではないか。Figといえば無花果(いちじく)のこと。日本では紫色の無花果だが、色使いにウルサイイタリアでは赤や緑や黄色といちじくまで派手なのかと感心する。むむむ、さすがイタリア……

しかしてそんな色の無花果があるのはイタリアだけなのであろうか?
日本のいちじくには大きく分けていちじくには早生日本種、シュガー、セレスト、早生ドーフィン、カドタ、アーチペルと計6品種があるらしい。よく見ればお馴染みの紫色から赤いものまである。どうやらいちじくが紫だと信じこんでいたのは、私の間違えだったようだ。


無花果はホントに花が無い?

 
さて、いちじく、いちじくと簡単に呼んでいるが、いちじくは花の無い果物「無花果」と書く。日頃あまり植物観察、自然観察には疎い私だが
『本当に花が無いのなら、なぜに実がなるのだろう?』
という疑問がわいてしまう。

確かに漢字では「無花果」と書くものの、花が無いというのは嘘だった。外側から見えないだけで実(本当は果のうと呼ばれる)の中できちんと咲いているのだ。ああなるほどと思ってみたが雌花と雄花が分かれていると知れば
『あれ?じゃ、なんで実がなるのだ?』
と疑問は全く解決してないことに気付く。
これにはどうやらイチジクコバチなる蜂が関係しているらしい。

つまり、イチジクコバチがまだ熟していないイチジクの実に入り込んで産卵して、受粉が行われる。果実の中で育った幼虫が成虫になって飛び立つ頃、ちょうどイチジクが花をつけるのでうまく花粉が運ばれるという。この理論でいくと、受粉しなければ種子も出来ず実もつかないのであるから、普段みなさんの口に入るいちじくの実はつまり、イチジクコバチが産卵して孵った後の産物であるということになる。
極端な話だが、成虫になって飛び立つ前にこの実を収穫してしまうと、中からイチジクコバチの幼虫が出てくるなんてこともあるわけで……そういえばイチジクってなんとなくプチプチっという歯ごたえがあるもんなぁ。もしかして蜂の幼虫を食べて気付かなかったんじゃ? と不安になるムキもあろう。
雌雄異花の無花果というのは、地中海やヨーロッパなどで栽培される物に限られている。日本で普通に栽培されているものは中性花であり、受粉も行われず種子もつけないまま果実は大きくなるので、イチジクコバチが紛れ込んでいるはずはないのである。ご安心をば。


安価で不思議な物体

 

翌年、私はイスラエルの中にあるパレスティナ領のベツレヘムを旅していた。

エスキリストが産まれたという教会へ自分なりの巡礼をし、アラファトの馬鹿デカイ似顔絵のかかる市庁舎の前の坂を登りぶらぶらと街を散歩している時だった。
石畳の階段の上に段ボール箱に入った、見たこともない物体が「鎮座ましまし」としていたのである。
箱の中には数枚の葉が敷かれているというより、散らばっている。これがパレスティナ流のデコレーションの仕方なのだろうか。箱の手前の部分に無造作に山盛りにして置いてあり奥は売り切れたのか葉だけが見える。
売り子が立っているというわけでもないので、置いてあるというよりただ放置されていると言った方が正しい感じではある。

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「わっ、これなぁに? 野菜なの、果物なの? 食べられるの?」
一人でわめいてみるが誰ひとりとして相手にしてくれない。仕方が無いのでとにかくカメラにおさめ、帰ってから図鑑ででも調べようとファインダーをのぞいていた。
すると、そこへ『クーヒーヤー』というアラファト帽子をかぶったおじさんが、ぬぅっと現われる。暗闇から牛とはこのことだが、これは良いタイミングである。家に帰って図鑑を引っ張り出すまでもないかもしれない。こんなチャンスを逃してはならぬと、クーヒーヤーおじさんに
「これは何?」
と質問してみる。しかし、どうも英語が通じない。こちらもアラビア語は話せないし、身振り手振りで物体を指さし、クエスチョンマークなどを空に指で書いてみたりして、なんとかコミュニケーションをはからろうと企てたが
「アンタ、何踊ってんの? さっきから」
とでも言いたそうに私を見ているだけ。
もしかしたらアラビア語には、クエスチョンマークも無いのだろうか……。
そんなことを考えているうちにクーヒーヤーおじさんは、まったくもってやる気なさそうな顔でふらふらと立ち去ってしまうのだった。

謎の物体の正体が解き明かされないだけでなく、クーヒーヤーおじさんがこれを売っている人なのかということも不明なまま。
路上に置き去りにされているのだから、そんなに高価なものではないのだろうという……いい加減な想像をするにとどまったのである。