ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

⑲Nさんの『マニラ便』

f:id:bokenkozo:20180520182720j:plain
DBC・日本人

初めてマニラへ行った時のことです。ターンアラウンドと言われる日帰り便だったのですが、ビジネスクラスにスペイン人のお客さんが乗っていました。 スペイン語が少しだけ出来る私が『赤ワインと白ワイン、どちらがお好きですか?』とスペイン語で尋ねて、帰って来た答えはなんと『今晩1晩いくら?』でした。 冗談だったのかもしれませんが、入社間も無かった私は面くらってしまい、『ターンアラウンドで良かった』なんてほっと胸を撫で下ろしました。

そんなマニラへのオーバーナイト便に、初めて行った時のこと。マニラ便といえばコーラです。日本人の日本茶と同じように、フィリピン人の食事にはコーラがつきもので、エコノミークラス360中300人くらいはコーラを飲みます。いちいち缶を開けてコップに注ぐので、プルトップで必ず爪が折れてしまいます。缶ごとあげればいいのですが、360本もの缶を収納する場所など飛行機にはないので仕方ありません。 マクドナルドなどにある大型のサーバーか、バーテンダーの使うホースみたいのがあればいいのに……と思うのはこんな時です。 食事の片付けの時も、膨大なコップの量です。コップは高さがあって、カートの中には入らないので、取り出してカートの上に積み上げるので『ピサの斜塔』が出来上がります。

フィリピン人クルーはみんなこの便に乗るのを楽しみにしているので、機内の雰囲気はとても明るいんです。フィリピンが香港に近いこともあって、結婚してもご主人と子供をマニラに置いて、乗務し続けるフィリピン人がほとんどです。 中には米軍に勤めているご主人が米国の基地に、子供はフィリピンの実家に、当人は香港でと家族が三カ所バラバラに暮らしている人もいるようです。久し振りに赤ちゃんやご主人の顔を見れる嬉しさに、コーラ攻撃もへのかっぱです。

クルー専用のバスに乗ってホテルへ向かう途中、クルーの1人がバスを止めて降りて行きました。窓から見ていると細い路地にバラックが立ち並び、下半身裸の子供が走り回っていて、制服姿の彼女が家路に向かう様子はとっても場違いな感じでした。 私達日本人にとって、会社の給料は本当に少ないのです。初任給などは前に日本で働いていた頃の半分でしたが、こういう場所からきているフィリピン人にとっては、そんな給料でも巨額なのかもしれません。 そういえば、フィリピンの大統領の給料と私達DBCの給料が同じくらいだと聞いたことがあります。 どうりでフィリピンでは歯科医や医者だった人が、ごろごろ会社で働いているわけです。フィリピンで医者をしているより、特別な技術や知識は眠らせたまま、こうして飛行機で食事を配っている方が給料がよいというのは、少し皮肉で悲しい気持ちになります。

フィリピン人クルーは大変です。高給取りであるばかりに、妹、弟の学費から両親の生活費、家のローンなどまでを一手に引き受けている人も少なくありません。 私と同じDBCでも家を何軒も持っている人もいるようです。毎月の給料なんて日本へ2回ほど帰って、友達と食事をするとあっと言う間になくなってしまい、貯金どころか時々親に借金という名の、踏み倒し前提の資金をねだっていながら、ローマではフェラガモの靴、パリではシスレーの化粧品にと走ってしまう私は、少し反省しなくてはなりません。 どうりで彼女達フィリピン人クルー達は、パリでもローマでもホテルの1室に集まって、ポテトチップスをかじり噛りながら雑談やY談をしているわけです。それでなくては家は建たないのでしょう。

ところで、クルーは既婚未婚にかかわらず、妊娠すると妊娠休暇を取ることが出来ます。妊娠が判明してから出産を終えた約3ヶ月後までですが、これは無給です。一応会社の決まりで妊娠3ヶ月までは乗務出来るし、体調さえ良ければ出産後1ヶ月で職場復帰も可能です。 両親や弟、妹までもが、両肩にずっしりとのしかかっているフィリピン人にとって、8ヶ月も給料が無いのは大問題ですが、敬虔なカトリック教徒で避妊にも抵抗があるとのこと。仕方がありません。 そこでお腹が目立つぎりぎり6ヶ月くらいまで、黙って乗務する人というのが出て来ます。すごく太っているのかと思ったら『実は妊娠5ヶ月なの』なんてこっそり教えられると、重いものを持たせるわけにもいかず、まわりがものすごく気を使ったりします。 それでも6ヶ月を過ぎるとあまりに目立って来て、妊娠休暇を取らないわけにはいかなくなります。そこでどうしてもと会社にお願いして事務などの簡単な作業の『グランドデューティー』をさせてもらったりしています。 これは本来、麻疹のあとの顔のぶつぶつが消えないからとか、腰の手術の後すぐには乗務出来ないなどの理由で、クルーに与えられるものなのですが、これをしている限り給料も住宅手当も支給されるので、乗務手当は無いものの収入0よりは、ずっとましです。 会社の建物のどこへ行ってもお腹の大きなフィリピン人クルーが『グランドデューティー』をしていて、何だか妊娠がうつりそうな感じさえします。

日本人は妊娠が分かり次第すぐ休暇を取って日本へ帰ったり、たとえご主人が香港にいたとしても、この機にゆっくりするのが普通なのに、彼女達のパワーにはびっくりします。 フィリピンは女性が働く国、一家どころか一族の大黒柱だったりするのですから、そうおちおちと休んでいられないのでしょう。 『フィリピンの母は実に強し』 同僚が消えていったバラックを横目で見ながら思ったのでした。