ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

㉕Tさんの『面白いこと』

f:id:bokenkozo:20180520181519j:plain DFP・日本人

私達は世界各国いろいろなところに行くので、行く先々で面白いことがたくさんある。

たとえば社会主義の国。現在、中国への便は子会社のドラゴン航空に引き渡してしまっているのだが、私が入社した頃はまだ、北京や上海の便が日帰り便ながらあった。 これらのフライト前のブリーフィングで、きつく言い渡されることは『北京語が堪能な人以外は、現地の誰とも口をきいてはいけません』ということだった。 シンガポール、マレーシア、香港の中国系クルー達は、多少の北京語が分かるけれど流暢とはいえない場合も多く、みんな黙って黙々と下を向いて仕事をしている様子は異様でもあった。 流暢に北京語が話せるはずの台湾人は政府間の取り決めで、この便には乗務することが出来ないので、結局みんなが黙りこくっていることになる。

普通、経由地ではケイタラーや清掃係の人達と「こんにちは」とか「今日は寒いね」なんて言葉を交わすのが普通だ。台湾人の人なつっこいケイタラーは、寒いと言った私に自分の着ているジャケットを貸してくれようとする優しい人もいて、同じ国という建前なのに口もきいてはいけない中国の場合とは対照的だ。

ベトナムサイゴンにも週に3便、定期便が飛んでいる。この便には面白いきまりがあって、飛行機がサイゴンに到着する直前に、雑誌を入れる棚の入れ替えをする。 香港から離陸する時は勿論、最新号が棚に置いてあるのだけど、これを先月号などの少し古いものと取りかえる。どうしてこんなことをするかというと、監視の為に乗り込んで来る役人が、いつも棚からこっそり雑誌を抜き取っていくとわかっているから。 もちろんブリーフィングでは、こういう『ターパオ現場』を目撃しても、見とがめたりしないようにと注意があるので、当人はこっそり持って帰っているつもりかもしれないけど、私達はみんな知っている。何だか狐と狸のばかしあいみたいでおかしいのだけれど、横目で見ながらも黙っている。

時々ハノイにも臨時便が飛ぶ。これはいわゆる『ベトナム難民送還便』で、乗客は全て香港の難民収容所から直接空港へ、何十人もの警官や入国審査官の監視のもとにやって来る。 乗り込んで来る人達は、ボートで香港に辿り着いたままの服なんじゃないかと疑いたくなるくらいぼろぼろの服を着ていて、連れている小さな赤ん坊はほとんどが丸裸で、おむつもしていない。 普段着飾ってうきうきと、海外旅行に出掛ける人達ばかりを目にしているので、彼らの風体にまず面食らう。

この便のサービスは非常に特殊で、いつもは地上で配る新聞やおしぼりはない。代わりに配るのはおむつである。報道関係者が乗客の写真を撮るたびにフラッシュがぱしゃぱしゃと光り、ベトナム語の通訳さんが私達の機内アナウンスのかわりに取り仕切って、トイレの場所から使い方まで事細かにベトナム語で説明する。 それにもかかわらず水洗トイレに馴染みが薄い彼らは、便器の蓋や床に用を足してしまう。トイレットペーパーを便器の中に捨てる習慣が無いらしく、汚物と使用済みのちり紙で、トイレは世にも恐ろしい状態になってしまうのだ。 食事のサービスは至って簡単で、お弁当である。アルコール類は一切出さないが、他の飲物を勧めてもほとんどの人が言葉のせいか、興味を示さず与えられたお弁当を黙って、抱えるようにしてかき込んでいる様子は胸に詰まるものがある。 着陸少し前に配るお土産のチョコレートの袋を、大切そうに抱えて降りていくが、帰国した祖国で彼らは罪に問われるのだろうかなどと、いらない心配が脳裏をかすめてしまう。

さて乗客が降りてしまうと、クルーはブリーフィングでの指示通り、救命胴衣の数を座席の下を覗き込みながら確認する。彼らはボートでやって来るわけだから、『次回に是非役立てよう』なんて救命胴衣を持っていかれたらたまらない。 送り帰すのが目的のこの便。帰りは関係者だけなので仕事らしい仕事はなく、残るは待望の買い物だ。 この日の為に用意して来たUS$の紙幣を握り締め、飛行機から足早に降りて空港の建物まで走って行く。目指すは『象』である。この空港で売られている陶器の象が安くて人気なのだ。香港では1個1万円くらいするのだけれど、ハノイの空港では対で10$くらい、もちろん1個だけでも買える。これを4つ買って背中の部分にガラス板を載せてテーブルにしたり、2つ買って棚の土台にしたりする。 顔がどうの、鼻の向きがどうの、高さが合わないと迷った挙げ句、お気に入りの象を選び出し、それを藁で編んだ原始的な袋に入れてもらう。象を両肩から下げ、息を切らして機内に戻って来る制服の大集団は、先ほどの難民とはうってかわって滑稽でさえある。

ハノイの象買いをはじめ、オーストラリアの時計、スリランカノリタケの食器、ロンドンのバーバリー製品、バンコクのコットン製品、台湾の海賊版CDと、どこで何を安く手に入れられるかというのは、うちのクルーに聞けばまず間違いはない。 買い物は乗務先だけとは限らない。香港の煙草は日本円にして400円くらいと、物価の安い香港では意外に高いので、香港の税関の規定でクルー1人につき2箱ならば免税だからと、2パッケージを機内の免税品販売から買って行くクルーもいる。 賢い人は喫煙しないクルーを掴まえては、『ねぇ、税関通る時だけでいいから2箱預かってくれない?』なんて頼み込んで、まんまと2カートンくらい持ち込んだりしている。

私達は乗務にあたって必ずお化粧を義務づけられているが、長距離便では交代で睡眠時間が与えられ、飛行機最後部にある仮眠室のベッドで横になる。16時間にも及ぶ便では、4時間以上の仮眠が出来るので、こうなると仮眠というより睡眠になる。 人にもよるが寝間着に着替え、お化粧も一旦全部落としてしまう人もいる。乾燥した機内と外国をいったり来たりして10年以上になるチーフパーサーなど、すっかりお化粧を落として仮眠室へ向かうその風体は、どこから見ても『ただのオバサン』であったりして、化粧品の威力にあらためて感服することもある。

さて、最後は機内アナウンスの話。 英語でチーフパーサーがアナウンスしたものを、私達が各国の言葉に訳してアナウンスをする。英語のアナウンスのおしまいには、必ず『THANK YOU FOR YOUR ATTENTION』など、「ご静聴ありがとうございました」的なお礼のフレーズがつく。英語のニュースでお馴染みの『THANK YOU FOR WATCHING(ご観賞戴きましてありがとうございます)』のようなものだろうか。でも、日本語のニュースの終わりに、こんな言葉は無いのである。せいぜい『それではおやすみなさい』とか言う程度だろう。デパートの館内放送などを思い浮かべても、これにあたる言葉はないように思う。 ところが、これを日本語に直訳して『ありがとうございました』とアナウンスするようにと訓練所で教えられた。 最初のうちはとても抵抗があったけれど、慣れてしまった今ではかえってこれを言わないと、アナウンスが終わったような気がしない。 せっかくだからここで、機内アナウンス風にしめくくってみることにしよう。

本日はこの香港での冒険話をお読みいただきまして、誠にありがとうございました。近いうちにまた紙上にてお目にかかれますことを、機長はじめ乗務員一同お待ち申し上げております。ありがとうございました!