ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

Guide

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ヒンディー映画「Guide」(1965)

配役:

Raju役:Dev Anand 
Rosie Marco/Miss Nalini役:Waheeda Rehman
Rajuの母親役:Leela Chitnis
Marco役:Kishore Sahu
Bhola役:Gajanan Jagirdar
Gaffoor役:Anwar Hussain
Joseph役:Rashid Khan
Pandit役:Ram Avtar 
村人役:Nazir Kashmiri  
Bholaの妻役:Praveen Paul 

 

ネタバレしない程度のあらすじ:

フリーランスの観光ガイドRaju (デヴ・アーナンド) はある日、年老いた考古学者Marco (キショール・サフー) とタワイフの母を持つ若妻Rosie (ワヒーダ・レーマン)のカップルを迎える。
Marcoは街はずれにある洞窟の調査のために、Rajuをガイドとして雇ったのだ。Marcoが調査に没頭している間、RajuはRosieを観光に連れ出しその踊りの上手さと純真さに感服する。母親がタワイフのため無理矢理高い身分のMarcoに嫁がされたこと、Marcoが許さないので踊りを諦めたことなど、Rosieの置かれた状況をRajuは知ることになる。
そんな身の上を嘆いたRosieは服毒自殺をはかるが、Marcoのメッセージを伝えるために偶然ホテルに戻ったRajuがそれを発見する。
Marcoから離れて好きな踊りをすることに決めたRosieをRajuはかくまったが、”踊り子”のステイタスが当時は低く売春婦とみなされたたため周囲の反対がひどく、ついには母親も怒って家を出ていってしまう。
Rajuの支援のかいあってRosieはダンサーとして名をあげ、二人は結婚。RajuはマネージャーとしてRosieを支えるも酒と博打に溺れはじめ、自分の成功は自分の力だけだと勘違いをしたRosieからも拒絶されるようになる。
Rosieの気持ちが離れていくことを恐れたRajuは、Marcoからの装飾品のプレゼントに関する書類にニセのサインをして宝飾品を売り払ってしまったため、サイン偽造の罪で逮捕されて2年の刑に。
模範囚として刑期が半年縮まったRajuは出所後、家に戻ることなくそのまま放浪の旅に出た。旅先でRajuを待っていたのは数奇な運命だった。

 

小僧的視点:

Chittorgarthが映画でどんな風に映るのかを確かめたくて、この映画を観よう観ようとしていたのだけれど、なにせ半世紀も前の映画。れっきとしたカラーなのだけれどイメージがなんとなくセピアっぽいし、ストーリーにもなんとなく気乗りしないまま見始めては途中でやめるというのを繰り返していた。

そのうちにChittorgarthを舞台にした「Padmaavat(2017)」が公開されたので、わくわくして観たのだが、映画に反対する団体とのいざこざがあってロケが出来ず……ほぼ全てがセットでの撮影となっていてしょぼーん。


やはり、この「Guide」を観るはこびとなった。
ムンバイのセットでの撮影だと思われる洞窟など今見るとかなりちゃちいが、Chittorgarthは正真正銘のホンモノで大変美しい(←砦と城好き)

 

  

Chittorgarth

「鋤をとるときも剣を手放さない」
と言われる勇敢で誇り高き騎士階級のラジプート。なかでもメワールは男性、女性ともに生きて敵の屈辱(敵の捕虜となった女性はペルシャの奴隷市場に売りに出されるなどした)を受けるよりも壮絶な死を選ぶことで知られていて、Chittorgarthは三度、Johaur(集団自決)の舞台になっている。

1度目は1303年、デリー・スルタナット朝(1206年から1526年までの約320年間デリーを中心に主として北インドを支配した5つのイスラーム王朝をこう呼ぶ)のムハンマド・ハルジーの手に落ちることを避けるために、メワールの王妃パドミニとラジプートの女性たちが炎のなかに飛び込んだ。

2度目は1535年、グジャラートのスルタン・バハドゥール・シャーの攻撃を受けた時で13000人のラジプート女性がラニ・カルナワティの先導のもと炎に身を投じ、32000人の男性がサフラン色の死に装束をまとって敵に突撃して玉砕した。
最後の総攻撃の前夜、女たちは化粧をし、きらびやかな衣装を身に付け、婚礼の夜と同じように聖なる火の回りを7回まわって宴を催し、それから城内の巨大な穴に焚かれた火の中に次々と飛び込んだ。翌朝、もはや後顧の憂いのない兵士たちは神聖とされるサフラン色の衣装に身につけ、全ての城門を開き、総攻撃を敢行した。

3度目は1568年、北インドムガール帝国のアクバル帝の攻撃の際で、8000人のラジプート女性が炎に焼かれた。
総攻撃の前夜、戦士たちの後顧の憂いを絶つべく、城内では旅路のための薪が焚かれ、Johaurが決行された。9人の妃、5人の王子、残された重臣の家族全て、そして高さ150メートル周囲5キロに及ぶ広大な大地に建つ要塞に住んでいたラジプートの家族たちが、聖なる火の中に次々と飛び込んでいった。
 城砦内には15世紀半ば、マハラナー・クンバがイスラム軍を打ち破った時記念に建てられたビジャイ・スタンプ(勝利の塔)があったが、翌日この記念塔と寺院の間には、骨灰が分厚い層になって堆積していたという。
山の上にあった集落は山麓に遷された。Chittorgarthに残ったイスラム軍は数年で引き上げ、城砦はその後廃墟と化した。
アクバル帝はラジプートの武勇をたたえ、その武将ジャイマとパッターの像を都であったアグラの城に建てたという。

ラジプート諸国がムガール帝国の宗主権を認め、娘をアクバル帝のもとに送って婚姻関係を結ぶ中、メワール王家はChittorgarthが陥落したあとも、ゲリラ戦で抵抗をつづけた。
1573年にジャイプール・アンベール王国のマン・シンがウダイプールのマハラナ・プラタップ・シンに、ムガール帝国に帰順するように諭すも受け入れず。ウダイプールは4代、なんと92年間にわたってムガール帝国に抵抗を続け、アクバル帝の死後(1614年2月18日)についに講和を結び、ムガール帝国の宗主権を認めた。

この時のムガール帝国・ジャハンギール帝はウダイプールの勇ましい抵抗の精神に敬意を表し、「Chittorgarthを再建、修復しない」ことを条件にムガール宮廷への王の出仕を免除(代わりに王子でOK)、王女達がムガール後宮へ入るのも免除、ウダイプールの領土をそのまま守ることにした。 

 「Padmaavat(2017)」はこの1度目の1303年のお話だ。
こういった背景があるからなのだろうか、Chittorgarthでサリーたなびかせてデートシーンを撮る映画が少ないのかもしれない。そういった意味では、大変貴重な映画ではある。

ロケ地

撮影はラジャスタン州とムンバイのスタジオにて。

 

ロケ地
 Vijay Stamb (Chittorgarth, Rajasthan)

 
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Padmaavatに映りこむVijay Stamb

ヴィジェイ・スタンブ(勝利の塔)は、15世紀メワール国王ラナ・クンバがマールワー・スルターン朝のマフムード・シャー1世ことムハンマッド・ハルジー(在位:1436-69)のイスラム軍との戦いに勝利(1440年)した戦勝記念として建立。
9階建て高さ37m、建物内外にヒンドゥー教彫刻を施したものとしてはインドで最も高い建築物だが、1303年の話であるはずの映画「Padmaavat」のこのシーンに存在しないはずの塔が奥ににゅっとそびえてしまっている。
いいのか? これで? と思いながら観た覚えがある
まぁ、もともと小説の映画化だとして公開されたのだから、つくりごと。
いいんだなきっと。
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ロケ地
 Chittorgarth Fort (Chittorgarth, Rajasthan)

 そびえる勝利の塔が右側に見える。f:id:bokenkozo:20180702201511j:plain

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ロケ地
Rani Padminis Palace (Chittorgarth, Rajasthan)

 デリー・スルタナット朝(1206年 - 1526年までの約320年間デリーを中心に主として北インドを支配した5つのイスラーム王朝の総称)のムハンマド・ハルジー(アラウディンとも)が評判の美女PadminiをわがものにしようとChittorgarthに攻め込んできた。
ところがあまりに屈強な城砦を前に攻略は失敗、そこでアラウディンはパドミニの夫であるメワール国王にこう切り出した。
「パドミニを一目拝ませてくれ、そうすれば諦めて立ち去ろう」
この申し出は聞き入れられ、パドミニはアラディンに姿を見せることとなる。この時パトミニがアラウディンに姿を見せた場所が、Rosieがブルーのサリーをひらひらさせているパドミニ宮殿と呼ばれる3階建ての白亜の宮殿前の貯水池だ。
伝説によるとアラウディンは貯水池の水面に映るパドミニの姿を見せられただけだったという。つまり、このRosie状態。
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 アラウディンはこんな感じでパドミニを見たのだと思われる。

 

ロケ地
Lake Fatehsagar (Udaipur, Rajasthan)

 RajuがRosieをなだめるシーン。f:id:bokenkozo:20180702215110j:plain

 

ロケ地
City Palace (Udaipur, Rajasthan)

 Rajuの仕事っぷりを紹介するシーンf:id:bokenkozo:20180702215302j:plain

 

ロケ地
Old Udaipur 旧市街 (Udaipur, Rajasthan)

 Rajuが観光客を連れて歩くシーンf:id:bokenkozo:20180702215436j:plain

 

 

 

 

 

この映画が観られるサイト: 

https://einthusan.tv/movie/watch/8333/?lang=hindi

Rudaali

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ヒンディー映画「Rudaali」(1993)

配役:

Shanichari役:Dimple Kapadia ←Akshay Kumarの義母
Ram Avtar the zamindaar(荘園主)役:Amjad Khan ←SholayのGabbar Singh役
Ram Avtarの息子Lakshman Singh役:Raj Babbar
泣き女Bhikni役:Rakhee Gulzar
Shanichariの息子Budhua役:Raghuveer Yadav
Budhuaの妻'Mungri役:Sushmita Mukherjee
Mita Vashisht
Manohar Singh
Minaaz

 

ネタバレギリギリなあらすじ:

砂漠の村Barnaの荘園主(アムジャド・ハーン)は死期が近いため、近隣の町から泣き女Bhikni (ラキー・ガルザー) を呼び寄せる。荘園主の死を待つ間、Bhikniは村に住む未亡人Shanichari (ディンプル・カパディア)の家に仮住まいをする。Shanichariは生まれたと同時に父をなくし、旅芸人の一座とともにいなくなってしまった母のPeewliはにも捨てられたのだった。

酒飲みで放浪癖のあるGanjuと結婚し息子BudhuaをもうけるShanichariは、ある日砂漠で荘園主の息子Lakshman Singh (ラジ・ババー)に見初められ、妻の侍従として迎え入れられLakshman Singhから「話をする時はちゃんと顔を見るように」と教えられる。
「息子と旦那を放棄して私のところに来い」というLakshman Singhからの再三口説かれるも拒み続ける。そうこうするうちに夫のGanjuはペストで亡くなってしまい、息子のBudhuaは父親ゆずりの放浪癖ですぐどこかへ消えてしまうのだった。
ある日、Budhuaが妊娠した若い売春婦Mungri (スシュミタ・ムケルジー)を連れて家に戻って来る。Shanichariに反抗的なMungriは子供を堕ろしてしまい、孫を待ち望むShanichariの希望は打ち砕かれたうえにBudhuaは家からいなくなってしまう。

悲しいことが重なっても決して涙を流すことのないShanichariは、Shanichariの話を聞いてはすぐに涙を流すBhikniと徐々に仲良くなっていく。 
荘園主の長く待たされた死がやってきたその晩のこと、Bhikniは近隣の村へ仕事に行っていた。Lakshman Singhが父親の死後は村を離れる予定だと聞かされたShanichariがお別れに参じていた時、Bhikniが突然ペストで亡くなったというニュースが届けられ、とある秘密が明らかになる。
これを機に涙は堰をきり、ShanichariはRudaali(泣き女)へと変容をとげる。

 

小僧的視点:

映画の題名「 Rudaali(ルダリ)」は下層カーストに属する職業としての「泣き女」のこと。インド西北部ラジャスタンの一部の地域では高いカーストの人たちは自分の感情を表立って表すことを良しとしないため、家族の男性が亡くなった際にこのRudaaliを雇い入れ、悲しみを家族の替わりに表現させる。
泣き女は台湾の葬式で見たことがあるが、インドではカーストや社会的ステータスにまつわる文化的背景があったのかと勉強になった。
ただ、泣き女の習慣は100年ほど前にあったもので、今のラジャスタンにはすでにないとも言われている。(サティーもダウリーも法律上はないことになっているが、実際にはあるので……なんとも言えない)  

インドでは腕輪や首からさげるロケットや額につける赤い印などは結婚している女性の象徴。夫が亡くなると泣き女が来てすべてとりのぞくという習慣がある。特に額の赤い印は「夫との命綱」と考えられているため、毎日夫が妻に施すのが普通なのだが、こんなとれない額の印なら生き返りますよ……というCMがあった。

 

 なぜ、すでにないはずの泣き女がCMに? という気がしないでもない。

 

言霊が本当に?

映画の中で「もう死ぬ、もう死ぬ」言いながらなかなかくたばらない? 荘園主は、「Sholay」で伝説のGabbar Singhを演じていたAmjad Khan。これが実際に遺作となっていて、言霊? 呪い? などと考えたりも……。

 

恰幅のよくなったGabbar Singhが冒頭に現れる。

 

 

ロケ地

撮影はラジャスタン州にて。

 

ロケ地
Bada Bagh / Bara Baag  (Jethwai, Rajasthan)

 夫の火葬のシーン。その後腕輪などの装飾品を投げ捨てている。Lakshman Singhが装飾品をまとわないShanichariを見て夫の死を悟るシーン。

 

  

ロケ地
Barna Village (40km from Jaisalmer, Rajasthan)

 トウジンビエ(唐人稗)が主な作物だというこの村の村民820人全員が、一度はこの映画を観ているらしい。

 

 

ロケ地
Jailsalmer Fort (Jaisalmer, Rajasthan)

 キルトの店を出していたのがここ。

 

ロケ地
Khuri Desert (Jaisalmer, Rajasthan)

 砂漠でLakshman Singh に見初められるシーンはここ。

 

ロケ地
Kuldhara Ruins (Jaisalmer, Rajasthan)

 

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ロケ地
Moolsagar Palace (Jaisalmer, Rajasthan)

 荘園主の家はここ

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ロケ地
Ram Mandir (Jaisalmer, Rajasthan)

 

 

 

この映画が観られるサイト:

https://einthusan.tv/movie/watch/4QSz/?lang=hindi

 

Chalo Dilli

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ヒンディー映画「Chalo Dilli」(2011)

配役:

Mihika Banerjee役:Lara Dutta 
Manu Gupta役:Vinay Pathak 
Lt. Col. Vikram Rathore役:Akshay Kumar 
Inspector Surendra Mishra役:Pankaj Jha
列車の車掌K. C. Pant役:Brijendra Kala 
"Laila O Laila"という曲の中のLaila役:Yana Gupta(特別出演)
タクシードライバーBablu役:Narottam Bain
トラック運転手Dharampalji 役:Dadhi R Pandey

 

 

ネタバレしない程度のあらすじ:

ムンバイ在住の投資銀行で活躍するキャリアウーマンMihika Banerjee (ララ・ダッタ)は路上でスーツケースの中身をまき散らす男性や交通規制による交通渋滞によって、デリー行きの飛行機に乗り遅れてしまった。どうしても夫Vikram Rana (アクシャイ・クマール)と落ち合わなければいけないので、普段はファーストクラスにしか乗らないMihikaだったがしぶしぶ格安航空機に乗り換えたところ、あのスーツケースの中身をまき散らしていたManu Gupta (ヴィネイ・パタック)も同乗。
ところが、デリー空港が閉鎖されていたため、飛行機が到着したのはジャイプールだった。深夜だったが4000ルピーのプリペイドタクシーでデリーへ向かおうとすると、34時間もぶっ通しで仕事をしていたので眠くて仕方のないドライバーに当たってしまい、居眠り運転で蛇行しまくり。
路肩にタクシーを止めて言争っているところへ「かぉーん すぃ ばりー ばーと ほーがいー (大したことないよ)」が口癖のManuが乗り込んできて、
「何度もジャイプールからデリーへは車で運転したことがあるので、目をつぶっていても行ける」
と眠りこけるドライバーを後部座席に追いやって、自分が運転しはじめる。
しばらくすると車がアジメール方向(デリーとは逆)に向かっていることに気付き、ドライバーをたたき起こして「ここはどこだ?」と訊くも、起こされたばかりのドライバーはわかるはずもない。おまけに車がエンコ。
二人はトラックをヒッチハイクして近くの安食堂兼安宿まで行き、翌朝はらくだタクシー、トラクターを乗り継いでNuaまで行き、そこから電車でジュヌジュヌ経由でデリーを目指す道中、ハイソな暮らしをしているMihikaが今まで経験をしたことのないトラブルが待ち構える。
確かにトラブルだらけであるのだが、この旅を通してふれあう人々そしてManuを通して、Give and Takeの発想で生きてきたMihikaの何かが少しだけ変わっていく。
料理に髪の毛が入っていても、レストランでメニューの上をゴキブリが歩いていても、荷物をなくしてしまっても、お金をすられても「たいしたことないよ」というManuに
「あなたにとって、いったい何が大したことなの!」
とキレていたMihikaであったが、旅が終わってみてManuにとって「大したこと」がなんなのかがわかるのだった。 

小僧的視点:

久々に旅人向けのいい映画に出会えた。

 

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 ムンバイからジャイプールまでは格安航空機とはいえ飛行機なので、デリーまで行けずに降ろされただけ。それこそ「大したこと」ではない。
ジャイプールからデリーまで、トイレ休憩2回の6時間もあれば着く距離(←なんだこの職業病的な距離感は)を逆方向のアジメールへ行ってみたり、Nuaやシェカワティ地方のJhunjhunuでギャングの抗争に巻き込まれて戒厳令が引かれたりする。
逆方向に行くなんてよくあることだし、飛行機のダイバートも何度も経験している。イスラエルではパレスチナ人による暴動、チベットではパンチェンラマ騒ぎにも巻き込まれ、昨年もモスリムとヒンドゥーの対立で戒厳令が敷かれたジャイプールに居た……つまり、旅をしていると普通に(なのか?)出くわす小さな事件から大きな事件まで、あとになって思うと強烈な旅の思い出にはなっているものの「大したこと」では本当にないのだ。むしろ、それをどう乗り越えるか、どう楽しむか……旅人の腕のみせどころでもある。

暴動や戒厳令の真っただ中にいても、あまり恐怖を感じたことがないというのが実際に経験した私の感想だ。映画だから特になのかもしれないが、抗争に巻き込まれているのに警察署からギャングが車に乗せてくれたりと……作り手の暖かさもあって、怖くはない。「ガタガタ道で頭ぶつけて痛かった」的印象の方が強く残る。

好きだった場面はトラックの運転手に、乗せてくれたお礼を払おうとすると
「妻がもうすぐ子供を産むんだ。無事に生まれるように祈ってくれればそれでいい」
と言われ、Mihikaが目を白黒させるところ。Nuaなどの田舎に行けばいくほど、旅人に優しい人たちは都市部よりも増えて来る。旅が思い通りに進まなければ進まないほど、こういった人たちとの出会いが増え、村の人々の親切や温情が染み入るのだ。
インドを、いや世界を自分の足で歩いた人なら、誰でも1度や2度はこんな経験をしたことがあるはずだ。そういった旅の醍醐味が再現され、Give and TakeだったMihikaがだんだんと「Given and Given」の発想に変わっていき、最後は誕生日パーティーにManuを招待しようという夫Vikramのアイディアに同意するなど「旅が教えてくれること」の偉大さも伝わってくる。

もし、あなたが旅好きならばラジャスタンの風景を楽しむだけのためでもいい、いちどは観ておいて損はない。

 

タイトルは反英スローガンから? 疑惑

映画のタイトル「Chalo Dilli」はもしかしたら、「Dilli Chalo」を文字っているのかもしれない。「Dilli Chalo」は「Jai Hind(インド万歳)」「Glory to India!(インドに栄光あれ)」などと並び、かつてインド国民軍(INA)を創立し日本軍と協力してインドを独立に導いたSubash Chandra Bose(スバーシュ・チャンドラ・ボース)の掲げた反英スローガンのうちのひとつ。
「Jai Hind」にいたっては今や軍人や警察官の間で普通に交わされる挨拶になっており、身近なところではエアー・インディアの機内放送でも使われている。

「Dilli Chalo」のもともとの意味は「デリーへ行こう」であるが、軍事的なスローガンなので「(英領インドの首都)デリーへ攻め込め!」という勢いのあるニュアンスなのだ。「何がなんでもデリーへ行かねば!」という雰囲気にピッタリだ。

 

 

ロケ地

撮影はマハーラーシュトラ州、ラジャスタン州、デリーなど。

 

ロケ地
Mumbai (Maharashtra, India)

ムンバイの渋滞でManuと出会うシーン

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飛行機に乗りそびれるところからManuとの再会シーン。

 

格安航空券の機内シーン

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ロケ地
On the way from Jaipur to Ajmer (Rajasthan)

眠くてしかたがないタクシードライバーともめていると、そこへManuが乗り込んでくる。

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アジメール方向へ行ってタクシーがエンコ、乗せてもらったトラックのシーン。最後の最後に私のお気に入りのシーン。


 

ロケ地
Nua (Rajasthan)

らくだタクシー、乗り合いトラクターでNuaの駅へ 。ラジャスタンらしい風景が楽しめる。

Nuaの駅舎の中はこんな感じ

 

ロケ地
Jhunjhunu (Rajasthan)

Nua駅から財布をスられてしまったために無賃乗車。それでも「大したことない」ので目の前のベンガル人とおしゃべりをしつつ、ラジャスタンの風景を楽しむシーン。 

 

キンマの汁でシミだらけの洗面台がある安宿のシーン。

 

 

ロケ地
Chandni Chowk (Old Delhi, Delhi,)

 Manuの家を訪ねて、「大したこと」を知るシーン。

 

この映画が観られるサイト:

Chalo Dilli (2011) Hindi in SD - Einthusan

 

The Shape of Water

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アメリカ映画「Shape of Water」(2017)

配役:

Elisa Esposito役:Sally Hawkins 
Richard Strickland役:Michael Shannon 
Giles役:Richard Jenkins
Z,elda Fuller役:Octavia Spencer
Robert Hoffstetler / スパイDimitri Mosenkov役: Michael Stuhlbarg 
"半魚人男性"役:Doug Jones 
Stricklandの妻Elaine Strickland役:Lauren Lee Smith
Zeldaの夫Brewster Fuller役:Martin Roach 
映画館のオーナーMr. Arzoumanian役:John Kapelos 
パイ屋の店員役:Morgan Kelly

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ネタバレしない程度のあらすじ:

1962年、アメリカとソ連の冷戦まっさかりの頃。首に傷を持つElisa Esposito(イライザ・エスポジト)は子供の時に川のそばに捨てられており、声が出ないので手話でコミュニケーションをする。映画館の上にあるアパートに一人暮らし、Baltimoreにある政府の秘密研究所で清掃の仕事をして生計を立てていた。一人で安アパートに暮らす中年女性。
友人は隣に住むイラストレーターでパイ屋の男に想いを寄せるGiles(ジャイルズ)という男性と、仕事仲間の黒人女性Zeldaだけ。

ある日、Elisaの勤務する研究所にプロジェクトリーダーのColonel Richard Stricklandによって、アマゾン川で捕獲されたという不思議な両生類が運び込まれてきた。この生き物に興味を示したElisaはその生き物が半魚人であることをつきとめ、ちょくちょく訪ねては好物のゆで卵を与えたり、レコードを聴かせたり、手話を教えたりして仲良くなってゆく。

しかし、研究が思うように進まず、Colonel Richard Stricklandが解剖実験を行うことを推し進めたため、これを知ったElisaはすぐにでも行動を移さないと半魚人が殺されてしまうと、Gilesと共謀して半魚人を助け出して家にかくまうことに。

 

小僧的視点:

最初「Shape of Water」ときいて、何のカタチなんだろうと思った。半魚人が水に浸かっているのでそのカタチなんだろうかとか。
見ているうちにわかってきたのは、実は「Shape of Love」で、それも水のように容器によってさまざまなカタチに変容可能なもののことだった。

半魚人に指を食いちぎられたRichard Stricklandはきちんとした仕事についてタイトルもある。ブロンドの美しい妻と子ども二人が新居で帰りを待ち、気に入った色の新車のキャデラックに乗ってなに不自由のないアメリカの理想的な家族であるのに対し、他の登場人物たちは真逆の位置にある。

半魚人に愛される声を持たない独身中年のElisa、仕事に復帰したいのに叶わないゲイのGiles、肌の色や職業とともに女性であることで正当に扱ってもらえないZelda、アマゾンから無理やり連れてこられて乱暴される半魚人。

世間一般から見るとマイナスとなりうる障害や差別や葛藤といったことが、相手が変わればそれこそが通じ合うための、補い合うための接点になる。
半魚人にとってはElisaが「口がきけない」ということは何の障壁にもなりえず、私たちがする身振り手振りのかわりにすっと手話をコミュニケーションツールにするのもそうだ。
この映画は変幻自在の水のようにイロイロな人生、イロイロな愛のカタチがあっていい。こうじゃなきゃいけないのだということはない……ということを教えてくれているような気がした。

好きだったのはアパートの部屋を水浸しというか水槽にしてしまうダークで幻想的なシーンと、家出をした? 半魚人が映画館のスクリーンの前に突っ立ってる場面。 

前に観たSFモノでガラス張りの棺桶みたいのに入ると、傷がなおってもと通りになるっていう設定があったのだけれど、この映画でも半魚人が触って念を込めると傷が治ったり毛が生えてきたりするという設定だった。
西洋医学、漢方、鍼灸、アーユルベーダと手を尽くしてもなかなか治らない病気の家族のために、今、カプセルか半魚人がとても欲しい……。
半魚人、どこにいったら会えるかなぁ?

 


 

ロケ地

撮影はカナダにて。

 

 

ロケ地
Toronto  (Ontario, Canada)

  

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ロケ地
Hamilton  (Ontario, Canada)

 

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この映画が観られるサイト:

https://amzn.to/2Kx6cvF

 

 

Kaabil

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ヒンディー映画「Kaabil」(2017)

配役:

Rohan Bhatnagar役:Hrithik Roshan 
”Su”ことSupriya Sharma役:Yami Gautam 
Madhavrao Shellar役:Ronit Roy ←兄
Amit Shellar役:Rohit Roy  ←弟
Inspector Amol Chaube役:Narendra Jha
Rohanの親友Zafar役:Suresh Menon 
Wasim役:Sahidur Rahman 
Wasimの父親役:Akhilendra Mishra
Sub-Inspector Pravin Nalavde役:Girish Kulkarni as 
Urvashi Rautela (歌の中の特別出演) 

 

ネタバレしない程度のあらすじ:

Rohan(リティク・ローシャン)は生まれた時から全盲ながら聴覚・嗅覚にすぐれ、器用にも声を替え1人で何役もこなすアニメのアフレコで生計を立てている。そんな彼が親友Zafar (スレッシュ・メノン)と普段からお世話になっている女性のアレンジで見合いをしたのは同じく全盲の”Su”ことSupriya(ヤーミー・ゴゥタム)だった。
会うなりSupriyaは「お世話になっているので断りきれずに見合いに来たけれど、結婚しなくても生きて行けるので、何か理由をつけてこの見合いを断って欲しい」と。
天涯孤独のSupriyaはNGO団体で働いて自立しており、週に2回ダンス教室でレッスンのためのピアノを弾いたりもしている。
「僕もお世話になっているから来たんだけど、今すぐ結婚したいわけじゃない。でも、せっかくだからお互いを知ってみてもいいんじゃない?」
実は一目ぼれ(目は見えないんだけどね)しているくせにRohanは答え、翌日はダンス教室に見学にいってSupriyaをダンスに誘い、とても目が見えないとは思えない踊りを披露。二人はデートを重ねて結婚するが、新婚生活に暗い影がしのびよる。
地域の大物政治家Madhavrao(ローニト・ローイ)の弟Amit (ロヒット・ローイ)は札付きの悪。手下のWasimを引きつれては飲み歩いていたが、Supriyaの美しさに目を付けて、Rohanが留守の時にWasimと共にSupriyaを襲う。
警察もみなMadhavraoのいいなりで弟の事件はもみ消され、つけあがったAmitは再度Supriyaを襲い……。

小僧的視点:

いつもはPCの小さな画面で映画を観ているのだけれど、この映画はジョドプールいち大きな映画館で封切りと同時に特等席で寝ころびながら、巨大スクリーンで観たのですごい迫力だった。
SRKの「Raees」が同日の公開だったので最後までどちらにするか迷ったあげく、これにした。

ところが、一緒に行った友達がとなりで
「次はね、こうなるよ」
とかなんとか、勝手に筋書きを予測するのだが、またそれが大当たりなのだ。封切りなので友人は何かをカンニングして言っているわけではないのだが、つまり、インド人にとっては「パターン通り」の展開ということなのだろう。
ひとつひとつ場面展開で驚いているぽっと出のインド映画好きの私は、まだまだ修行が足りないのである。

Sanjay Gupta(サンジェイ・グプタ)監督は外国映画を勝手にリメイクするので有名で、この映画もアメリカ版座頭市の「Blind Fury(1989)」と東野圭吾の小説を原作とする韓国映画「Broken<さまよう刃刃>(2014)」から発想を得たということになっている。
何を参考にしてなにから発想を得ても、インド人が創るかぎり結局出来上がりはパターン通りというのが笑える。

 

好きだったシーンは新居の建築現場で、お日様がここから出るんだと二人して窓からその景色を眺めるシーン。


昔、視覚障害のお客さんがツアーに参加していたことがあって、安全性もさることながら、どう「観光」という「観る」べきものを彼らに紹介すべきなのかとすごく悩んだことがある。
でも、結果からいうと心配は無用だった。光や香り、温度や音を頼りに健常者よりももっと旅を楽しみ、たくさんの思い出を作って帰っていってくれた。
そんなことを、このシーンを観ていたら思い出した。

街がきたないだの、ホスピタリティがどうこう、食事が日本と違う……さがして文句を言い続ける旅も、感じとれるすべてを好奇心とともに楽しんで帰っても同じ旅。
「足るを知る」のも大切なことなんじゃなかろうか。

 

バックダンサー

踊りの上手さでは定評のあるHrithik Roshanだけに、盲人の演技をしつつもダンスはキレッキレだ。

 

「Dhoom2」の時のタイトルソングも圧巻だった。
この踊りのバックダンサーの中に、緑と黒のシマシマの服を着て白いベルトをして、頑張ってはいるけどHrithik Roshanほどのキレはなく、足がちょいと短めな疑惑をもたげるダンサーがいる。誰だかわかるだろうか?

 

 そのダンサーはこの現場で声をかけられ、

この映画の主役に抜擢されたのである。

今回の映画のダンス教室のシーンにもたくさんのダンサーが登場するが、将来の映画スターがあそこから生まれないとも限らない?!
 

 

ロケ地

ほとんどの撮影はムンバイにて。当初撮影は88日間の予定だったのだが、11日も早く撮影開始から77日で終了。毎日きっかり9:30から撮影が行われたというから、朝が遅くて時間が守れないインドでは驚異的。なんでもSanjay Gupta監督が毎日カチカチっと時間通りに現場に現れて時間までにスタンバイしているので、役者もスタッフも時間を守るハメになり、スケジュール通り撮影がスムーズに運んだのらしい。
いいことだぁ~ (←仕事で行くインドでは、相当ひどい目に遭っているらしい)

 

ロケ地
Adlabs Imagica (Khopoli, Maharashtra)

「Kuch Din」の歌、デートシーンはここ。

 

ロケ地
Growel's 101 Mall (Mumbai, Maharashtra)

 二人がはぐれてしまうショッピングモールはここ。

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この映画が観られるサイト:

https://einthusan.tv/movie/watch/c102/?lang=hindi

 

Aaja Nachle

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ヒンディー映画「Aaja Nachle」(2007)

配役:

Dia Srivastav役:Madhuri Dixit
MP Raja Uday Singh役:Akshaye Khanna
Anokhi役:Konkona Sen Sharma(舞台ではLaila役)
Lailaの兄弟Sanjay Mehra役:Jugal Hansraj
Imran Pathan役:Kunal Kapoor(舞台ではMajnu役)
Diaの親友Najma役:Divya Dutta(舞台ではLailaの母親役)
Steve役:Felix D'Alviella
Diaの娘'Radha役:Dalai
Doctor Saab役:Raghubir Yadav
Mr. Chojar役:Vinay Pathak
Chaudhary Om Singh役:Akhilendra Mishra
Dhan Kuber役:Nowaz
Makarand役:Darshan Jariwala 
Mrs. Chojar役:Sushmita Mukherjee
Najmaの夫役:Irrfan Khan
Mrs. Srivastav役:Uttara Baokar 
Inspector Sahib役: Yashpal Sharma(舞台ではLailaの父親役)
Mohan役:Ranvir Shorey 
P役:PAYEL 
Farooqueの召使役:Nawazuddin Siddiqui
Diaの父親役:Vinod Nagpal

 

 

youtu.be

ネタバレしない程度のさっぱりとした/すっかり人任せなあらすじ:

駆け落ち先のアメリカから11年振りに、故郷の町ウッタル・プラデーシュ州のシャームリーに帰って来たダンサーのDia(マードゥーリ・ディクシット)が、廃墟と化した劇場を再建する話。

これでインディア 2007年11月

 

小僧的視点:

「悲しいことや、悩み事があったら踊る」ことにしているので、なにか踊りたくなるような映画が観たいなと思いManeesh Sharma監督のFilmographyを見た。Maneesh Sharmaの監督作品ではないけれど、助監督として参画しているのがこの映画だったのだ。
「Devdas(2002)」でタワイフ役を演じ、鎧を着ていても? 


とんでもなく踊りが上手かったMadhuri Dixitのボリウッド復帰作だ。 主人公Diaのインド里帰りはMadhuriともオーバーラップする。月日は流れてもキュートな笑顔と美貌はそのままだ。


当初の目的「踊る」に際して、この動画が役立った。

Madhuri自身が通しで踊ってくれているので、振り付けが覚えやすい。
悲しいことがあったり、悩みごとのある人は是非、覚えて一緒に踊ってみてほしい。
悲しいこともなく、とくに悩みごとのない人も良かったら……(←結局全員かよ!)
だって、この映画のタイトル「Aaja Nachle」は「おいで、踊ろう!」だもの。

 

劇場でかけられたミュージカルは、中東の古典的悲恋物語である「ライラ マジュヌーン」を題材としている。
ライラはアラビア語で”夜”を意味する女性の名前だけれど、マジュヌーンは”ジン”に取り憑かれた人の意味で、本名?はカイスという。
ジンというのはアラブ世界では精霊とか妖怪などのことで、「アラジンと魔法のランプ」に登場するランプの精などが典型的な例だ。

映画ではディテールがなぜか「Mirza Sahiban」っぽくなっていたけれど、ライラという美女に恋い焦がれたカイスが狂人(マジュヌーン)に成り果て、狂人のままその生涯を閉じるという壮絶な話。 

 

ライラとマジュヌーン

 

 やっと跡継ぎの男の子を授かったアラブのある地方の首長は、あらゆる徳が備わるように息子にカイスという名を付け、名門学校に入れる。カイスはクラスメートの美しいライラに恋をし、ライラもまたしかり。

 ここまでは通常の恋なのだけれど、カイスは次第に常軌を逸して、眠りにつかず獣のように野や町をさまよい、ライラの家の周りをうろつくようになった。今でいうストーカーだ。
カイスがマジュヌーンとなったその理由を知った父親はライラを嫁に迎えるべくライラの家へ赴くものの
「ストーカーに娘をやるわけにはいかない。まずは狂気封じの祈祷をせよ」
とライラの両親に一蹴されてしまう。あたりまえである。

 ライラを想うマジュヌーンは服や腰布も裂き、家族との絆も断ち切ってひとり野山をさすらい、ライラを求めて叫び声を上げる。見かねた親戚に薦められ父とマジュヌーンはメッカのカーバ神殿への巡礼に行くが、神殿の前で我が子の心の平穏を願う父に対し、マジュヌーンは神殿の扉を叩いてこう叫ぶ。
「たとえ私が死のうとも、この恋は残させたまえ」
完全にイッている……。

 巡礼後も荒野を彷徨い、ある時は踊り、詩を吟唱したりしていたマジュヌーンは、人目を避けて砂漠や野山に住むようになる。こんな息子に両親は心を痛め、はるばる荒野まで息子を訪ねては変わり果てた姿に号泣し、実らぬ恋を諦めるよう説得。ところがマジュヌーンは
「真実の恋を知った私には、全世界は価値もないひと粒の種ほどにも見えません。どうか私をこのまま捨ておいてください」
と言っていて、完全に世捨て人である。
その後父が亡くなり、後を追うようにして母も天に召される。

 ライラは両親に嫁がされた男性のもとで身も心も頑なに閉ざし、異様な結婚は夫の身をむしばんでついに病で帰らぬ人となる。
アラブの習慣にのっとって2年間、ライラは家にこもって誰にも会わずに喪に服してマジュヌーンを想い続けたが、これがもとでライラも病を患い亡くなってしまう。

 ライラの死を知ったマジュヌーンはライラの墓に駆けつけて号泣。マジュヌーンはそのまま墓に留まり、ライラの待つあの世へと旅立っていく。
マジュヌーンの亡骸には、一年以上誰も気づかなかったという。

 

 マジュヌーンもそうだが、悲しいことや悩みごとが発生する原因は、一万年前と何も変わらず「執着」に他ならない。
他の地球における生き物とは違って人間は、「死」への「恐れ」を強く持ち、「生」への「安心」に強い執着を持つから、「死」と「生」は自然なものであるということを受け容れられないのだろう。

執着とはなんだろう。執着とは他者を自分の存在の中心として使うこと。
マジュヌーンはライラに執着し、「ライラなしには生きられない」と言う。
存在の中心がライラに移動しているのだ。
「これなしでは生きられない」とは、自分の魂が自分の中にないということに他ならない。 つまり中心が自分から他のものへと「移動」することこそが執着。
生きることは手放すこと。「Life of Pi トラと漂流した227日 」で主人公が教えてくれたっけ。

では、なぜ人は執着するのか。それはたぶん「感傷」だ。
人は感傷的になって小さなことに泣いたり、悲しんだり、感動したりする。心には簡単に嵐が起こる。もっと俯瞰的に物を見てさっぱりと生きなくてはいけない。

この映画を観ながら。そして踊りながら考えたことは、少しだけ悩みや悲しみをほどいてくれたように思う。

  

ロケ地

映画の舞台となるShamli(シャームリー)は、ウッタル・プラデーシュ州ムザッファルナガル県にある実在の地名。いろいろ調べてはみたけれど、Shamliで撮影されたという記事が見当たらないどころか、ムンバイのFilmcityくらいしか撮影場所として記されたものがない。
Devdasもびっくりのほぼ全編セット? 
車のナンバープレートがマディヤ・プラデーシュ州のものだったので、マディヤ・プラデーシュのどこかの町で撮影は行われたはずなのだが、それが「どこか」というのはこの映画にとってあまり重要なことではない。

 

youtu.be

 

ロケ地
Filmcity (Goregaon East, Mumbai, Maharashtra )

   

  

この映画が観られるサイト: 

https://einthusan.tv/movie/watch/0951/?lang=hindi

 

Duplicate

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ヒンディー映画「Duplicate」(1998)

配役:

Bablu Chaudhry / Manu Dada役:Shah Rukh Khan
Sonia Kapoor役:Juhi Chawla 
Lily役:Sonali Bendre
Babluの母親役:Farida Jalal
ホテルマネージャーRavi Lamba役:Mohnish Behl 
Inspector R.K Thakur役:Tiku Talsania
Dhingra役:Sharat Saxena  
Shalaku役:Gulshan Grover  
電車のホームでの女の子役:Kajol (特別出演)
Tony 役:Vishwajeet Pradhan (特別出演)


ネタバレしない程度のあらすじ:

ママ大好きで腰抜けのBablu Chaudhary(シャー・ルク・カーン)はリゾートホテルにシェフとして雇われ、マネージャーのSonia(ジューヒー・チャーウラー)と恋に落ちる。
ある日二人がデートをしていると、Babluに瓜二つのギャングManu Dada(シャー・ルク・カーン1人二役)に間違われて警察にしょっぴかれる。”Bebe”ことBabluの母親ファリーダー・ジャラル)が子供の頃の写真を持参して無事に釈放。
それもつかぬ間Babluの家にManuが押し入り、警察の発行したI.D.カードをManuが取り上げてBabluになりかわる。
仕方なくManuを演じることになったBabluがかえって手下どもの心を掴んでしまったり、Manuの情婦Lily(ソーナーリー・ベンドレー)に惚れ直されてしまったり……などややこしい展開に。 

小僧的視点:

ひと昔前のコメディ映画は安心して観ていられるので嬉しい。
悪役達もどこかお茶目で人間臭くて、殺し合いのシーンで惨殺されても
「いや、これ映画だから。実際は死んでないから」
という確固たる思いで流すことができる。ところが、最近のコメディー映画には凄惨な殺人シーンが織り込まれていたりして油断ならない。登場人物のBabluといい勝負くらいに腰抜けなので本や毛布で目を隠したり、隙間からのぞいたりと忙しくてめんどくさい。
緊張と緩和、恐怖が笑いをエスカレートさせるという構造はわかっているが、ちょっとヒヤっとするスリルくらいで十分であり、目を覆わんばかりのシーンはコメディ映画には要らないと思っている。

大コケしたスラップスティックだと思っていたらBabluの人柄と動き、そして小芝居と小ネタいくつかが可笑しくて意外に笑えた。

自分を裏切ったギャングを血祭りにあげる場面で、結構な大根足のおねーさんが登場。

 

「もうちょっとスタイルのいいダンサー使えばいいのに」
と思っていたら、女装したSRKだったのでコーヒー吹いた。 

上司Ravi Lamba(モーニシュ・ベーフル)が惚れていたSoniaから「バイヤー(お兄さん)」と呼ばれて泣きべそになるシーンもクスっときた。
インドで「お兄さん」と呼ばれるということはすなわち、「恋愛対象ではありません」という意味になる。同じように「妹」と呼ばれたら脈ナシ、「お母さん」といわれたら逆に神格化?されている可能性もある。

 

Kajol 特別出演

 巡礼に行くというBebeを見送る駅のホームに、ほんの一瞬だがKajolが通りかかる。

 「Dilwale Dulhania Le Jayenge (1995) 」のパロディーである。 

 話の筋からは「なにか唐突だな」と思ったら笑うところなので、見逃さないよう。

 

 

ロケ地

撮影はマハーラーシュトラとモーリシャス、そしてチェコ、スイスなどにて。

 

ロケ地
 National Museum (Prague, Czech Republic)

 「EK SHARARAT HONE KO」の曲はここ。

 

ロケ地
Wenceslas Fountain  (Prague, Czech Republic)

  「EK SHARARAT HONE KO」の曲はここ。

  

ロケ地
Mauritius (Mauritius)

 モーリシャスは主にホテルのシーンで、勝手に味付けしなおしたBebeをプールサイドに連れ出すところなど。
わざわざモーリシャスまで行かないでもと思わなくもないが。f:id:bokenkozo:20180625112243j:plain

  

ロケ地
Troja Palace (Prague)

 

  

 

この映画が観られるサイト:

https://einthusan.tv/movie/watch/7gqh/?lang=hindi