ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

Aaja Nachle

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ヒンディー映画「Aaja Nachle」(2007)

配役:

Dia Srivastav役:Madhuri Dixit
MP Raja Uday Singh役:Akshaye Khanna
Anokhi役:Konkona Sen Sharma(舞台ではLaila役)
Lailaの兄弟Sanjay Mehra役:Jugal Hansraj
Imran Pathan役:Kunal Kapoor(舞台ではMajnu役)
Diaの親友Najma役:Divya Dutta(舞台ではLailaの母親役)
Steve役:Felix D'Alviella
Diaの娘'Radha役:Dalai
Doctor Saab役:Raghubir Yadav
Mr. Chojar役:Vinay Pathak
Chaudhary Om Singh役:Akhilendra Mishra
Dhan Kuber役:Nowaz
Makarand役:Darshan Jariwala 
Mrs. Chojar役:Sushmita Mukherjee
Najmaの夫役:Irrfan Khan
Mrs. Srivastav役:Uttara Baokar 
Inspector Sahib役: Yashpal Sharma(舞台ではLailaの父親役)
Mohan役:Ranvir Shorey 
P役:PAYEL 
Farooqueの召使役:Nawazuddin Siddiqui
Diaの父親役:Vinod Nagpal

 

 

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ネタバレしない程度のさっぱりとした/すっかり人任せなあらすじ:

駆け落ち先のアメリカから11年振りに、故郷の町ウッタル・プラデーシュ州のシャームリーに帰って来たダンサーのDia(マードゥーリ・ディクシット)が、廃墟と化した劇場を再建する話。

これでインディア 2007年11月

 

小僧的視点:

「悲しいことや、悩み事があったら踊る」ことにしているので、なにか踊りたくなるような映画が観たいなと思いManeesh Sharma監督のFilmographyを見た。Maneesh Sharmaの監督作品ではないけれど、助監督として参画しているのがこの映画だったのだ。
「Devdas(2002)」でタワイフ役を演じ、鎧を着ていても? 


とんでもなく踊りが上手かったMadhuri Dixitのボリウッド復帰作だ。 主人公Diaのインド里帰りはMadhuriともオーバーラップする。月日は流れてもキュートな笑顔と美貌はそのままだ。


当初の目的「踊る」に際して、この動画が役立った。

Madhuri自身が通しで踊ってくれているので、振り付けが覚えやすい。
悲しいことがあったり、悩みごとのある人は是非、覚えて一緒に踊ってみてほしい。
悲しいこともなく、とくに悩みごとのない人も良かったら……(←結局全員かよ!)
だって、この映画のタイトル「Aaja Nachle」は「おいで、踊ろう!」だもの。

 

劇場でかけられたミュージカルは、中東の古典的悲恋物語である「ライラ マジュヌーン」を題材としている。
ライラはアラビア語で”夜”を意味する女性の名前だけれど、マジュヌーンは”ジン”に取り憑かれた人の意味で、本名?はカイスという。
ジンというのはアラブ世界では精霊とか妖怪などのことで、「アラジンと魔法のランプ」に登場するランプの精などが典型的な例だ。

映画ではディテールがなぜか「Mirza Sahiban」っぽくなっていたけれど、ライラという美女に恋い焦がれたカイスが狂人(マジュヌーン)に成り果て、狂人のままその生涯を閉じるという壮絶な話。 

 

ライラとマジュヌーン

 

 やっと跡継ぎの男の子を授かったアラブのある地方の首長は、あらゆる徳が備わるように息子にカイスという名を付け、名門学校に入れる。カイスはクラスメートの美しいライラに恋をし、ライラもまたしかり。

 ここまでは通常の恋なのだけれど、カイスは次第に常軌を逸して、眠りにつかず獣のように野や町をさまよい、ライラの家の周りをうろつくようになった。今でいうストーカーだ。
カイスがマジュヌーンとなったその理由を知った父親はライラを嫁に迎えるべくライラの家へ赴くものの
「ストーカーに娘をやるわけにはいかない。まずは狂気封じの祈祷をせよ」
とライラの両親に一蹴されてしまう。あたりまえである。

 ライラを想うマジュヌーンは服や腰布も裂き、家族との絆も断ち切ってひとり野山をさすらい、ライラを求めて叫び声を上げる。見かねた親戚に薦められ父とマジュヌーンはメッカのカーバ神殿への巡礼に行くが、神殿の前で我が子の心の平穏を願う父に対し、マジュヌーンは神殿の扉を叩いてこう叫ぶ。
「たとえ私が死のうとも、この恋は残させたまえ」
完全にイッている……。

 巡礼後も荒野を彷徨い、ある時は踊り、詩を吟唱したりしていたマジュヌーンは、人目を避けて砂漠や野山に住むようになる。こんな息子に両親は心を痛め、はるばる荒野まで息子を訪ねては変わり果てた姿に号泣し、実らぬ恋を諦めるよう説得。ところがマジュヌーンは
「真実の恋を知った私には、全世界は価値もないひと粒の種ほどにも見えません。どうか私をこのまま捨ておいてください」
と言っていて、完全に世捨て人である。
その後父が亡くなり、後を追うようにして母も天に召される。

 ライラは両親に嫁がされた男性のもとで身も心も頑なに閉ざし、異様な結婚は夫の身をむしばんでついに病で帰らぬ人となる。
アラブの習慣にのっとって2年間、ライラは家にこもって誰にも会わずに喪に服してマジュヌーンを想い続けたが、これがもとでライラも病を患い亡くなってしまう。

 ライラの死を知ったマジュヌーンはライラの墓に駆けつけて号泣。マジュヌーンはそのまま墓に留まり、ライラの待つあの世へと旅立っていく。
マジュヌーンの亡骸には、一年以上誰も気づかなかったという。

 

 マジュヌーンもそうだが、悲しいことや悩みごとが発生する原因は、一万年前と何も変わらず「執着」に他ならない。
他の地球における生き物とは違って人間は、「死」への「恐れ」を強く持ち、「生」への「安心」に強い執着を持つから、「死」と「生」は自然なものであるということを受け容れられないのだろう。

執着とはなんだろう。執着とは他者を自分の存在の中心として使うこと。
マジュヌーンはライラに執着し、「ライラなしには生きられない」と言う。
存在の中心がライラに移動しているのだ。
「これなしでは生きられない」とは、自分の魂が自分の中にないということに他ならない。 つまり中心が自分から他のものへと「移動」することこそが執着。
生きることは手放すこと。「Life of Pi トラと漂流した227日 」で主人公が教えてくれたっけ。

では、なぜ人は執着するのか。それはたぶん「感傷」だ。
人は感傷的になって小さなことに泣いたり、悲しんだり、感動したりする。心には簡単に嵐が起こる。もっと俯瞰的に物を見てさっぱりと生きなくてはいけない。

この映画を観ながら。そして踊りながら考えたことは、少しだけ悩みや悲しみをほどいてくれたように思う。

  

ロケ地

映画の舞台となるShamli(シャームリー)は、ウッタル・プラデーシュ州ムザッファルナガル県にある実在の地名。いろいろ調べてはみたけれど、Shamliで撮影されたという記事が見当たらないどころか、ムンバイのFilmcityくらいしか撮影場所として記されたものがない。
Devdasもびっくりのほぼ全編セット? 
車のナンバープレートがマディヤ・プラデーシュ州のものだったので、マディヤ・プラデーシュのどこかの町で撮影は行われたはずなのだが、それが「どこか」というのはこの映画にとってあまり重要なことではない。

 

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ロケ地
Filmcity (Goregaon East, Mumbai, Maharashtra )

   

  

この映画が観られるサイト: 

https://einthusan.tv/movie/watch/0951/?lang=hindi