Guide
ヒンディー映画「Guide」(1965)
配役:
Raju役:Dev Anand
Rosie Marco/Miss Nalini役:Waheeda Rehman
Rajuの母親役:Leela Chitnis
Marco役:Kishore Sahu
Bhola役:Gajanan Jagirdar
Gaffoor役:Anwar Hussain
Joseph役:Rashid Khan
Pandit役:Ram Avtar
村人役:Nazir Kashmiri
Bholaの妻役:Praveen Paul
ネタバレしない程度のあらすじ:
フリーランスの観光ガイドRaju (デヴ・アーナンド) はある日、年老いた考古学者Marco (キショール・サフー) とタワイフの母を持つ若妻Rosie (ワヒーダ・レーマン)のカップルを迎える。
Marcoは街はずれにある洞窟の調査のために、Rajuをガイドとして雇ったのだ。Marcoが調査に没頭している間、RajuはRosieを観光に連れ出しその踊りの上手さと純真さに感服する。母親がタワイフのため無理矢理高い身分のMarcoに嫁がされたこと、Marcoが許さないので踊りを諦めたことなど、Rosieの置かれた状況をRajuは知ることになる。
そんな身の上を嘆いたRosieは服毒自殺をはかるが、Marcoのメッセージを伝えるために偶然ホテルに戻ったRajuがそれを発見する。
Marcoから離れて好きな踊りをすることに決めたRosieをRajuはかくまったが、”踊り子”のステイタスが当時は低く売春婦とみなされたたため周囲の反対がひどく、ついには母親も怒って家を出ていってしまう。
Rajuの支援のかいあってRosieはダンサーとして名をあげ、二人は結婚。RajuはマネージャーとしてRosieを支えるも酒と博打に溺れはじめ、自分の成功は自分の力だけだと勘違いをしたRosieからも拒絶されるようになる。
Rosieの気持ちが離れていくことを恐れたRajuは、Marcoからの装飾品のプレゼントに関する書類にニセのサインをして宝飾品を売り払ってしまったため、サイン偽造の罪で逮捕されて2年の刑に。
模範囚として刑期が半年縮まったRajuは出所後、家に戻ることなくそのまま放浪の旅に出た。旅先でRajuを待っていたのは数奇な運命だった。
小僧的視点:
Chittorgarthが映画でどんな風に映るのかを確かめたくて、この映画を観よう観ようとしていたのだけれど、なにせ半世紀も前の映画。れっきとしたカラーなのだけれどイメージがなんとなくセピアっぽいし、ストーリーにもなんとなく気乗りしないまま見始めては途中でやめるというのを繰り返していた。
そのうちにChittorgarthを舞台にした「Padmaavat(2017)」が公開されたので、わくわくして観たのだが、映画に反対する団体とのいざこざがあってロケが出来ず……ほぼ全てがセットでの撮影となっていてしょぼーん。
やはり、この「Guide」を観るはこびとなった。
ムンバイのセットでの撮影だと思われる洞窟など今見るとかなりちゃちいが、Chittorgarthは正真正銘のホンモノで大変美しい(←砦と城好き)
「鋤をとるときも剣を手放さない」
と言われる勇敢で誇り高き騎士階級のラジプート。なかでもメワールは男性、女性ともに生きて敵の屈辱(敵の捕虜となった女性はペルシャの奴隷市場に売りに出されるなどした)を受けるよりも壮絶な死を選ぶことで知られていて、Chittorgarthは三度、Johaur(集団自決)の舞台になっている。
1度目は1303年、デリー・スルタナット朝(1206年から1526年までの約320年間デリーを中心に主として北インドを支配した5つのイスラーム王朝をこう呼ぶ)のムハンマド・ハルジーの手に落ちることを避けるために、メワールの王妃パドミニとラジプートの女性たちが炎のなかに飛び込んだ。
2度目は1535年、グジャラートのスルタン・バハドゥール・シャーの攻撃を受けた時で13000人のラジプート女性がラニ・カルナワティの先導のもと炎に身を投じ、32000人の男性がサフラン色の死に装束をまとって敵に突撃して玉砕した。
最後の総攻撃の前夜、女たちは化粧をし、きらびやかな衣装を身に付け、婚礼の夜と同じように聖なる火の回りを7回まわって宴を催し、それから城内の巨大な穴に焚かれた火の中に次々と飛び込んだ。翌朝、もはや後顧の憂いのない兵士たちは神聖とされるサフラン色の衣装に身につけ、全ての城門を開き、総攻撃を敢行した。
3度目は1568年、北インド・ムガール帝国のアクバル帝の攻撃の際で、8000人のラジプート女性が炎に焼かれた。
総攻撃の前夜、戦士たちの後顧の憂いを絶つべく、城内では旅路のための薪が焚かれ、Johaurが決行された。9人の妃、5人の王子、残された重臣の家族全て、そして高さ150メートル周囲5キロに及ぶ広大な大地に建つ要塞に住んでいたラジプートの家族たちが、聖なる火の中に次々と飛び込んでいった。
城砦内には15世紀半ば、マハラナー・クンバがイスラム軍を打ち破った時記念に建てられたビジャイ・スタンプ(勝利の塔)があったが、翌日この記念塔と寺院の間には、骨灰が分厚い層になって堆積していたという。
山の上にあった集落は山麓に遷された。Chittorgarthに残ったイスラム軍は数年で引き上げ、城砦はその後廃墟と化した。
アクバル帝はラジプートの武勇をたたえ、その武将ジャイマとパッターの像を都であったアグラの城に建てたという。
ラジプート諸国がムガール帝国の宗主権を認め、娘をアクバル帝のもとに送って婚姻関係を結ぶ中、メワール王家はChittorgarthが陥落したあとも、ゲリラ戦で抵抗をつづけた。
1573年にジャイプール・アンベール王国のマン・シンがウダイプールのマハラナ・プラタップ・シンに、ムガール帝国に帰順するように諭すも受け入れず。ウダイプールは4代、なんと92年間にわたってムガール帝国に抵抗を続け、アクバル帝の死後(1614年2月18日)についに講和を結び、ムガール帝国の宗主権を認めた。
この時のムガール帝国・ジャハンギール帝はウダイプールの勇ましい抵抗の精神に敬意を表し、「Chittorgarthを再建、修復しない」ことを条件にムガール宮廷への王の出仕を免除(代わりに王子でOK)、王女達がムガール後宮へ入るのも免除、ウダイプールの領土をそのまま守ることにした。
「Padmaavat(2017)」はこの1度目の1303年のお話だ。
こういった背景があるからなのだろうか、Chittorgarthでサリーたなびかせてデートシーンを撮る映画が少ないのかもしれない。そういった意味では、大変貴重な映画ではある。
ロケ地
撮影はラジャスタン州とムンバイのスタジオにて。
Vijay Stamb (Chittorgarth, Rajasthan)
ヴィジェイ・スタンブ(勝利の塔)は、15世紀メワール国王ラナ・クンバがマールワー・スルターン朝のマフムード・シャー1世ことムハンマッド・ハルジー(在位:1436-69)のイスラム軍との戦いに勝利(1440年)した戦勝記念として建立。
9階建て高さ37m、建物内外にヒンドゥー教彫刻を施したものとしてはインドで最も高い建築物だが、1303年の話であるはずの映画「Padmaavat」のこのシーンに存在しないはずの塔が奥ににゅっとそびえてしまっている。
いいのか? これで? と思いながら観た覚えがある
まぁ、もともと小説の映画化だとして公開されたのだから、つくりごと。
いいんだなきっと。
Chittorgarth Fort (Chittorgarth, Rajasthan)
そびえる勝利の塔が右側に見える。
Rani Padminis Palace (Chittorgarth, Rajasthan)
デリー・スルタナット朝(1206年 - 1526年までの約320年間デリーを中心に主として北インドを支配した5つのイスラーム王朝の総称)のムハンマド・ハルジー(アラウディンとも)が評判の美女PadminiをわがものにしようとChittorgarthに攻め込んできた。
ところがあまりに屈強な城砦を前に攻略は失敗、そこでアラウディンはパドミニの夫であるメワール国王にこう切り出した。
「パドミニを一目拝ませてくれ、そうすれば諦めて立ち去ろう」
この申し出は聞き入れられ、パドミニはアラディンに姿を見せることとなる。この時パトミニがアラウディンに姿を見せた場所が、Rosieがブルーのサリーをひらひらさせているパドミニ宮殿と呼ばれる3階建ての白亜の宮殿前の貯水池だ。
伝説によるとアラウディンは貯水池の水面に映るパドミニの姿を見せられただけだったという。つまり、このRosie状態。
アラウディンはこんな感じでパドミニを見たのだと思われる。
Lake Fatehsagar (Udaipur, Rajasthan)
RajuがRosieをなだめるシーン。
City Palace (Udaipur, Rajasthan)
Rajuの仕事っぷりを紹介するシーン
Old Udaipur 旧市街 (Udaipur, Rajasthan)
Rajuが観光客を連れて歩くシーン