ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

Water for Japan

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東日本大震災の時に日本を助けてくれた国のうち、どこの国の支援が印象に残っているだろうか。

私はどこよりも早く多くの支援を送ってくれたお隣の台湾と、震災発生の翌日にはヒマラヤの小さな国をあげて供養祭をおこない、100万ドルもの義援金を送ってくれたブータンが記憶に刻まれている。
台湾では比較的ながい間生活させてもらったし、私にはじめて旅の本を書かせてくれた国はブータンだ。どちらも個人的に縁のある国だが
「今まで旅した国の中で、いちばんブータンが好き」
公言してはばらからない私の記憶の中では、

ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が100万ドルを寄付

という風に報導されていたように思うのだ。

「ミネラルウォーターのペットボトルがあるでしょ? これをたくさん仕入れてきて、『Water for Japan』って書いて(本当は10ニュルタムなんだけど)みんなに20ニュルタムで売りました。僕らが出来ることはそれくらいだったから」
ブータンのガイドさんからきいた話だ。
寄付を募るといってもどうやっていいのかわからない。でも、みんな日本のためになにかしたかった。たとえ日本という国名を知らなかったとしても、みんな『ダショー・西岡』のことは学校で教えられて知っている。

『ダショー・西岡』こと西岡京治さんは、1964年に国際プロジェクト・コロンボ計画を通じ、農業の専門家としてブータンに派遣されてきた。お米や野菜の生産や農業の機械化に貢献し、1980年、その功績を評価され先代のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王から「最高に優れた人」という意味の名誉称号「ダショー」を贈られた。
ブータンにて敗血症で亡くなった西岡さんのお葬式は1992年、国葬としてとりおこなわれ、5000人もの人がブータン全土から集まったと言われている。

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パロの近郊のボンデ村には実験農『ボンデファーム』を見下ろすように、「ダショー・ニシオカ・メモリアルチョルティン」が建てられている。

西岡さんからはじまった日本のブータンに対する協力は今年(2017年)で53年目。確かに寄付は国王から日本へ届けられたのだと思う。
しかし、その裏にはブータンの王族ではないたくさんの普通の人々が、今も「ブータン農業の父」として語り継がれているダショー・西岡さんの国のために、「Water for Japan」としてミネラルウォーターを売ってくれ、そして買ってくれた。

あの100万ドルには、そんなお金も入っていたのである。