ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

タイのマッサーおばちゃん

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タイの首都バンコクから電車で南へ4時間、ホア・ヒンというビーチがある。タイ王室の方々も夏は避暑に来るところだそうで、ホア・ヒンの駅舎は田舎町には似舎わない豪華なタイの伝統建築がほどこされている。

以前は皇室リゾートということで庶民の憧れの地だったが、今やバンコクからの交通の便の悪さがたたってか、すっかり『ひなびた漁村』という様相を呈している。
そのホア・ヒンの海岸を散歩していた時のこと。遠くから、
「ハロー、マッサー!」
という、しわがれてはいるが元気な声。
「こんにちわ、ミスター」
男性に声を掛けているものと思ったが、よく見ると黄色いうわっぱりを着たおばちやん達が、私を呼んで手招きしている。近付いていくと、どうやらマッサージを生業とするおばちやん3人衆のようだ。おそろいの黄色いうわっぱりには、『タイ観光協会公認マッサージ師』と英話で仰々しく書かれているが、もう何年も着古したものらしく、あちこちつぎはぎだらけ。
最初はその気もなかったのに、食品売り場の試食のような『試し揉み』にほだされて、ちょっとその気になる。おばちゃんの最初の言い値の半分1時間100バーツ(約400円)に値切ったのに
「オーケー、オーケー(OK、OK)」
と間延びしたタイ訛りの英語が返って来て、気がつくと浜辺に引かれた布の上に寝かされていた。
ここで、誰が揉むかで3人が口論になる。しまいには
「1番、8番、13番のうちから1人選べ」
背中のゼッケンを指さして、3人が私に決めろとせまってくる。困って答えあぐねていると
「それなら3人で1時間、同時に擦むから300バーツでどうだ?」
と無理なことを言い出す始末。3人で
「今度は私の番よ。あんたはさっき仕事にありついたばかりじゃないか」
「あなただって今日はこれでもう3人目じゃないの」
任せておくと喧嘩をはじめるので、仕方なく『試し揉み』をしてくれたおばちやんにお願いすることにした。
『試し揉み』のおばちやんは『ほらね、私がご指名なのよ』という得意げな表情になり、しわくちゃの顔にニコニコフィルターを載せ、他の2人は戦いに敗れても別に気にしたようでもなく、あっさりと夕暮れの海岸を次の獲物を求めて引きあげて行った。
毎回お客を見つける度に、3人がこうしたバトルを繰り広げているのかと想像すると、ちょっと笑える。

さて私の御指名、『試し揉み』こと1番のおばちやんはなかなか商売っ気のある人で、マッサージを始めてまだ5分も経っていないのに、浜辺を行く人に
「ハロー、マッサー(マッサージはいかが?)」
と声をかけて、客引きに余念がない。
「そんなこと言ったってまだ、終わってないじゃないか」
と浜辺のお客候補にからかわれても、一向にひるむことなく声を掛け続けるのだ。

1時間のマッサージの間にも、数回にわたる客引きだけでも随分楽しませてもらったが、マッサージ自体も丹念に全身を揉んでくれるので夢心地だった。
マッサージは終了、いざお勘定の段になると、おばちやんは歯が抜けて、ぽっかりとブラックホールが口元に広がるのを隠しもせず、ニッと笑ったかと思うと1冊の砂まみれの小さなノートを黙って差し出す。
これはどうやら最近タイで流行の商売方法の一つで、世界各国のお客にその国々の言葉で『このおばちやんのマッサージは素晴らしい』と書いてもらっては、次の客引きの時の説得材料として使うものらしい。
ぱらぱらとめくると1時間300、400バーツでマッサージを受けた人もいて、100バーツまで値切ってしまったことを
「ちょっとやりすぎだったかな?」
などと思わせてしまうから不思議なノートである。
せめてもの今後の商売繁盛を願って、とても気持ちが良かった旨と値段を日本語で書いて返すと、大切そうにウェストポーチにしまいこんだ。

「それじゃあね」
と腰を上げるので別れを告げると
「まだホアヒンに居るんだったら、明日も必ず指名しておくれよ。1番だからね、1番。忘れないでおくれよ」
つたない英単語を羅列して、私の耳元でささやいた。立ち去る時も人差し指を1木立てて『1番』と何度も振り返ってはアピールしながら帰って行った。
タイのマッサーおばちやんの商魂たくましいのには、本当に頭が下がる思いであった。