ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

乾爸⑨ 博徒がふたり

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68歳になる乾爸の弟さんとその息子二人、長男のお嫁さんとその子供。これが乾爸の家族である。
甥が二人いると聞かされたけれど、先ほどから一人しか見当たらない。
「あれ? もう一人はどこ?」
聞いてみるに
「長男は牢屋」
という意外な返事にびっくり。なんでも賭け事をしていて公安(警察)に逮捕されたらしい。
はぁ? 賭け事ぉ?
いったいそのお金はどこから??
「商売をするのに必要だっていうから車を買い与えたのに、その車を人にまた貸ししてブラブラしていたんだよ」
乾爸が説明しながら深い溜息をつく。

10月には釈放されて戻って来るというが、定職もないのに賭け事とは呆れるしかない。旦那の留守を守る若いお嫁さんが、やたらに明るく無邪気なのが不思議なくらいだ。
長男と次男、2人とも無類の博打好き。博打をするのに年齢は関係ないのかもしれないが、頬の赤い次男はまだ18歳だ。この次男もまた問題が多い。
先ほど私が見た「雑貨屋」、あれはこの次男が始めたいと言って、乾爸が作ってやった店である。
「なんでお店をやめちゃったの?」
次男に聞いてみると
「お客は来ないし、飽きちゃった」
どっひゃぁーー!である。
お客が来ないのは仕方がないけれど、飽きちゃっただとぉ?
「『商い』というのは飽きずに続けるから『あきない』というのであってなぁ」
……という説教をしたくなるではないか。
「じゃ、あの店はどうするの?」
そう詰め寄った私に次男は
「店で仕入れたものは日用雑貨だから、家族で消費すれば済むことだ」
などと言ってのける。
「これからの仕事に関して、何か計画とかはあるんでしょうね?」
次男に聞くと
「もう1台車を買って貰って、それで商売でも始めようかなぁと思ってるけど……」
と答えるではないか。私は卒倒しそうになった。車を「買って貰う」だと? いったい誰の財布から出るお金だ? え! 言ってみろ。
そう詰め寄りたい気にもなるのだが
「冗談じゃない。前の車だって人に貸しっぱなしにしているくせに」
と、乾爸がバッサリ言うので私は黙っていた。
つまり、この家の人というのは今現在、誰も働いていないことになる。よく考えてみれば確かにそうなのだ。私が着いたお昼すぎ、一家は全員家に居た。携帯などない時代だ。
「今日、帰りますよ」
特に連絡をしておいたわけではないのだから、我々を待って家に待機していたとは思えない。畑やたんぼを持っているのだから、誰かひとりくらいは野良仕事に出ていても良さそうなものではないか。
お嫁さんは料理や洗濯などの家事をしているけれど、これでは収入というのはどこから来るのだろうと不思議な気分でもある。しかし、食事が済んでも誰も出て行く様子はなく、最初に居たメンバーがそのまま今、ここにいるのである。
「畑やたんぼは?」
私が聞くと
「私が野菜やお米を作ってるの」
お嫁さんが答える。
お嫁さんは家事と育児に野良仕事。義父はすでに年老いて隠居しており、旦那は牢屋で弟は仕事もせずにブラブラ、そこへ義父の兄である乾爸がやって来たのである。私ならとっくのとうに逃げ出しているかもしれない。
「お願いだから、乾爸をよろしくね」
それを言うつもりでここまでやって来た。しかし、若いお嫁さんの肩にのしかかるものの重さに、私は口をつぐむしかなかった。
じわじわと胸の中にやるせない想いが溜まっていくのを感じ、それを払いのけるような気分できいてみた。
「弟は野良仕事手伝ってくれるの?」
「うーーん、たまには手伝ってくれるけど……」
たまに? なんじゃそりゃ。
「あんたねぇ、お嫁さんばっかりに仕事させて自分はブラブラして博打してていいと思ってるわけ? とぉーーにかく、賭け事はやめなさーーい!」
私が口角泡を飛ばして次男に説教したのは言うまでもない。
しかし、彼は
「うんうん、そうだねぇ」
と頷きつつも、ちっとも真摯に受け止める様子は無かったのである。

実は以前から乾爸は甥達の賭け事好きに胸を傷めており、『君達が賭博をやめないのならそちらへは行かない』という手紙を出したりしていたらしい。『もう僕達は賭け事をしません』と書いてあるらしい次男からの手紙が来たのだが、そう言った矢先に賭博で牢獄に入れられているのであった。
「書いてあるらしい」などと意味不明なことを書いたのには訳がある。中国は簡体字なので手紙が来ても、がんばーには完璧に読みしだくことが出来ないのだ。
モトモトが大陸の人なのになぜ?
と思うかもしれないが、簡体字が使われるようになったのは毛沢東の時代の文化大革命以降のこと。
蒋介石と共に台湾へ渡ってしまった人々は、それ以前の繁体字を使い続けて来ているのだ。ひとつの家族だというのに、文字で意思の疎通さえもちゃんと出来なくなってしまっている。
まさかこんな風に家族が再会するとは思っていなかったのだろうが、毛沢東も罪作りなことをしたものだ。