ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

Ladakh⑩魔法のパンゴン・ツォ

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盛大に雪の積もるチャン・ラに来てみると、意外にたくさんの車が足止めをくっていた。みんながみんなあそこで引き返した訳ではなかったというか、トイレ休憩に全員が停まって情報を仕入れたわけではなかったと言うべきか。

チャン・ラにはいわゆる峠の茶店のようなものがあり、その裏手にトイレがある。さっき行ったばかりだから別に行きたくはないのだけれど、習い性というか、職業病というか……トイレを見ると中がどんな感じなのか把握したくなる。
いわゆるボットンでお世辞にもキレイとは言えないが、穴から下を見ると深い谷でもって『あれ~ ヒマラヤ』な気分は味わえる(←なんだよ、それ!)
それはそれとして、驚いたのはトイレにやってきているインド人観光客の格好である。若い男女は山用の防水ジャケットなどを着てスニーカー、パンゴン湖へただ行くのにトレッキングシューズは要らないからほぼ完璧だけれど、問題はインドの民族衣装・サリーを着ている女性陣。
なんと、みなさん揃いも揃って足元が素足にサンダルなのである。それも覆いがあったり後ろに支えがあったりするタイプではなく、限りなくビーチサンダルに似ているアレである。
確かにドレープびろびろのサリーにトレッキングシューズは死ぬほど似合わないけれど、雪の上を裸足でキラキラビーズがいっぱいついたビーサンでは歩きにくかろう。
おまけにコートではなく、ストールを”インド巻”。”インド巻”とはストールのちょうど真ん中を首の正面に当てて、尻尾を背中に垂らす着こなし方。私が勝手に呼んでいるだけで正式な名称は知らない。台湾でもジャンパーなどの羽織モノを本来右手を通す部分に左手を入れ、左手を通すはずのところに右手を入れて逆に着て、バイクにまたがっている人を多く見かけるけれど、私に言わせるとあれも一種のインド巻である。
いくら幅広でカシミアとはいえ所詮はストール、着ているのがサリーだから胸から下はスッカスカ、腹の一部は無防備にも寒風に吹きっさらされているのである。
お腹と足元を指さしながら「おばちゃん、さびーよ!」と英語で言ってみたが反応なし。仕方ないので
「アンティー! ボホット、タンダーヘ」
ヒンズー語で言い直してみたが、おばちゃんは首を横にゆらゆらさせるインド特有のリアクションをしたのみ。
ちっとも会話、盛り上がらないのである。

峠の茶店に行ってみると、ガイドさんとドライバーさんがストーブにあたりながらチャイを飲んでいた。通行禁止の理由は昨日の大雪で軍用トラックが転覆したとかで、その事故処理をしているとのことだった。軍用トラックでさえひっくり返っちゃうのかと驚かないでもないが
「じゃぁ、処理が終わったら通れるってことだよね?」
どこまでも前向きにたずねる私に
「……………… 」
ちょっとぉ、なに2人とも返事に困って、遠くの山に視線飛ばして黄昏てんの!
言いたくもなるが、要するに2人ともわからないのである。でもまぁ、普通のインド人だったら
「あー、いけるいける。大丈夫だよ~」
適当なことをいう場面である。言わないだけ、ザンスカール人は真面目で誠実なんだなと思うことにした。(←どこまでも前向き)

しばらく一緒になってチャイを舐めてみたが、1カ所にじっとしていられない”まぐろ体質”なので雪の舞う中、外の回遊を開始。軍の施設とおぼしき建物をのぞき込んでみたり、峠の看板の裏表写真とったり、そこらのインド人観光客やラダック人ガイドさんとだべったりしていたら、ガイドさんが捜しているのが見えた。
まぐろなのであっちこっちウロウロしても、ちゃんと元の場所には戻れるのに……と思いつつ
「こっちこっち!」
と手を振る。
「通行止めが解除されたので、パンゴン湖に行けますよ!」
「やったー!」
大喜びで車に戻って出発した。

さて、この峠の標高をちょっと思い出して欲しい。5360メートルである。4000メートルを遙かに超えているというのに、「車から降りるのめんどくさい病」がどっかに行ってしまったのである。
『峠を越えたらパンゴン湖!』という一種の興奮状態にあったからなのか、物理的に滞在時間が小1時間と短くまだ酸素が身体にいっぱい残っていたからなのか、乾燥してカラカラの空気ではなく雪が舞い散ってある程度の湿気があったからなのか。私は山の専門家ではないのでよくわからないが、チャン・ラ以降ラダックでは山酔いとは縁が切れた。

タンツェというところのチェックポストでILPのチェックを受け、ぐるーっと回り込むようにカーブを行くと、もうそれらしい風景が見えてきて心躍る。
到着したのはパンゴン湖の北東の端。ボリウッド映画の撮影が多々行われるまさに、あの場所だ。

全長約150㎞、面積は604平方㎞のパンゴン湖は、レーの東側の標高4000メートル超のチャンタン高原にある。湖という意味のチベット語が「ツォ」なので、パンゴン・ツォと呼ばれる。「パン」は草、「ゴン」は塊、太古の昔はここは草原であったのかもしれない。
パンゴン湖は字がもの凄くヘタクソな人が書いた、英語の「L」の形をしている。「L」の下にある短い棒の部分が中国のチベット自治区日土(ルトク)県に属していて、残りは全部ラダック。
淡水の中に海水が侵入している汽水湖で、日本でいうと浜名湖のような感じだがラダック側は塩湖。にもかかわらず、冬は1メートルあまりの厚い氷が張るという。

夢にまでみたパンゴン湖! やっほー!

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だけど、なーんか違うのである。
写真だと手前に石ころがゴロゴロしているように見えるが、これは川原(湖原?)ではなくて湖底の石が透けて見えているのだ。もの凄い透明度。文句なしにキレイなのだ。キレイなんだけどね……ふぅーーん。

浮かない顔をしつつ、水際をぶらぶらし
「ここ、違うと思う。私が来たかったのはこのパンゴン湖じゃないと思う。だってこんな灰色のどよーんとした色じゃなかったもん。これじゃ、アヌシュカーが飛び込んでもシャー・ルク・カーンは助けにこなかったはず」
などと意味不明なことを言い出す始末。

湖はセットじゃなくて自然のものなんだから、空の色や雲の位置、太陽の加減で湖面はいくらでも色を変えること。インド映画のクルー達は何日も何週間も湖のそばにテントを張り、俳優達もそのテントでずっと凍えながら太陽待ちをし、その間には猛吹雪で遭難しかかって山を下りたこともあったんですよ……とガイドさんは淡々と説明してくれるのだが、
「これじゃないものは、これじゃない」
のである。

人間とは欲深いものだ。あれほどブータンで、今ここにあるものに感謝をすること、すなわち『足るを知る』ことが幸せの秘訣だと教えてもらったのに、ぜんぜん実践できていないのである。
グル・リンポチェのおかげで無事に来られただけ、良かったと思わないと不幸のもとなのに……。
悶々と仏教説話のようなことを考える私に、ガイドさんが言う。
「とりあえず、お昼にしましょうか」
「そうだね、食べているうちに晴れて来るかもしれないからね!」
どこまでも前向きというか、あきらめの悪い私を前に
「……………… 」
ガイドさんは、またしても遠くの山に視線を飛ばしちゃうのである。

湖のほとりには映画のタイトルそのまま「3馬鹿」という名前のレストランがある。レストランというかプレハブというか、まぁ小屋だ。
レストランなのにお弁当広げちゃっていいのか? 心配は無用で、ガイドさんとドライバーさんが食事をするから大丈夫なのらしい。
4500メートルくらいの標高になると、100度で沸騰する水が85~86℃くらいで沸騰してしまってそれ以上あがらなくなる。つまり、ちゃんと火が通らないで料理が出て来ることになるので、慣れていない場合はお腹を壊しやすい。
それで私だけはお弁当持参なのだ。

3馬鹿レストランで、隣のテーブルのドイツ人女性から
「どっから来たの?」
話しかけられ、やれ山酔いがどうの、山酔いにきく薬がどうの、あれってプラシーボ(偽薬)と同じなんだよ本当は……と言ったその時だった。
急に店内に電気がついたのかと思ったくらい、まわりがぐっと明るくなった。
急いで外に走り出たその瞬間、ぱぁーっと湖面が青の色を深め、瞬く間にパンゴン湖が輝きはじめたのである。

「あっ…………」
あまりの麗しさに息を呑むとは、こういうことをいうのだろう。
目の前に広がる、この世のもとは思えない美しい光景は、まさに私が来たかったあの「パンゴン湖」であった。
神々しいまでにきらめく湖のまえに、ただただ立ち尽くした。
ほんの数分だったと思う。雲の切れ間から射していた陽が、まるでフィルムの巻き戻しのように雲の向こうに戻りはじめ
「あっ、写真撮らなきゃ」
我に返った私が、あわてて撮ったのがこの写真。

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絶好のシャッターチャンスにクチ開けて立ちすくんでいたとはいえ、神々しさはなんとか伝わると思う。これは絵ではない、写真なのだ。
夢にまで見たパンゴン湖、それはまるで夢のようではあったが、夢ではなかった。

この後、すぐに風が出てきて雲が上空を覆い、パンゴン湖は私が着いた時と同じ薄墨色の湖に戻ってしまった。
『グル・リンポチェ、魔法のような数分間をありがとうございました』
感謝の祈りが湖面を渡る冷たいに乗って、ゆるゆると雲の間から天へのぼっていったような気がした。

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あまりにもキレイなので、持って来た水着を着て泳いでみようかと一瞬血迷ったが、指先1㎝入れただけであまりの冷たさに1秒で断念。 ここで泳いだアヌシュカのスタントさん、大変だったろうなぁ……。