ぼうけんこぞう

旅と冒険(回遊ともいう)の軌跡と映画

7時42分の男

f:id:bokenkozo:20180522133030j:plain

インドのポンベイから世界7不思議の1つ、ムガール帝国の王様シャー・ジャハーンとお妃様ムムターズ・マハルの眠る、大理石で造られた宮殿のような豪華なお墓である「タージ・マハール」がある、アグラヘ行こうとしていた時のことである。

3時間も前に空港に着いていたにもかかわらず、インド名物『どこもかしこも長い列』のおかげで、私が乗るはずだったデリー行きの国内線飛行機のカウンターは非情にも、私の目の前で閉まってしまった。これではデリーで乗り換える予定であった、1日1便しかないアグラ行きには間にあわない。
仕方なく空港のベンチに腰を下ろして、これからどうしようかと途方に暮れていると、『インド政府観光局』のカウンターが目にとまる。

まだ午前7時、どうやら閉まっているらしく人影はない。カウンターの近くでたむろしている、空港勤務らしき人に訊ねてみる。
「観光局は何時に開くんですか?」
彼らは7時半だとか7時40分だとか仲間うちで言い合っていたが、15分あまりの討論の末
「7時42分頃に男がやってくるはず」
という返事をくれた。

まだ時間があったので、朝食を済ませ7時40分くらいにカウンタ一の近くに戻ってみると、向こうから1人の男がたらりたらりと歩いて来る。
荷物を置いて上着をゆったりとハンガーに掛け、その上着の埃などを払ってからカウンターの向こうの椅子にゆっくりと腰を落ちつける。時計の針は7時42分を回っていた。
インドの民間情報はなかなかどうして、正確なのである。男は頃合いを見計らって近づく私を
「何をして差し上げましょう?」
満両の笑みをヒゲ面に載せて迎えてくれる。

「デリーからアグラヘ行く飛行機に乗りそこなってしまったんだけど、飛行機以外で行く方法を教えてほしいの」
私の質問は耳に入っていないかのように無視された。
「どこから来ましたか? 名前は何ですか?」
インドではお決まりのフレーズである。観光案内所で名前を聞かれる国も珍しいが、このやりとりの裏にはカースト制という習慣が見え隠れする。肌の色が濃ければ濃いほど、南の出身でればあるほどこの差別はひどくなるのだが、名前をきけばだいたいの家柄がわかるのだ。
日本はインドから見れば北の果て、さぞかしカースト的には高かろうと(いや、本当はヒンズー教徒じゃないから関係ないんだけどね)日本から来たと答える。

「オー、お目にかかれて光栄です」
大袈裟にリアクションしたと思ったら、日本にいる友達の話をえんえんとし始めた。ちなみに彼の友人は日本でも有名なお金持ちで、神戸の千代田区に住んでいるそうである。
「神戸知ってますか? そうです千代田県です」
という話にいささかうんざりして来たので、
「ありがとう、もういいよ」
カウンターを離れようとすると
「どうして乗り損なったのですか?」
という質間でうまく引き止められてしまった。
「それは可哀相にねぇ……」
私の説明に男の顔には同情の色が広がるが、彼の同情などどうでもいいのである。私はアグラヘの列車かバスの時刻表を知りたいだけだ。

「飛行機でアグラへ行くなんて、聞いたこともありません」
このルートはどこのガイドブックにも載っているし、アグラへ行くほどんどの観光客がこのルートを使っているはずである。本当に『政府観光局』なのかどうかちょっと疑問が頭をもたげるが、とりあえず話は千代田県の神戸よりは少し本題に近付いて来たので
「じや、何で行くの電車? バス?」
たたみかけた。ひげ面はしたたか考えてから
「何ででも行けます」

それはそうだ、ごもっとも。数ヶ月かかれば歩いたって行けるだろうことは私でなくても知っている。
ギャフンとなった私を尻目に、彼はさも良い事でも思いついたかのように、右手の人差し指を一本立て、身を乗り出し
「くわしい情報が知りたければ、デリーの観光局でたずねるといいです」
とのたまった。
え? じゃぁ、ここは何の政府観光局なんだ?
「観光局ってインド中のことを教えてくれるんじゃないの?」
私の質問にも彼は表情ひとつ変えず、悪びれた様子もなく
「私はボンベイ出身ですからデリーのことは分かりません。プロフェッショナルではありませんから、そんなこと言われても困ります。それよりボンベイの市内観光をしませんか?」
と『インド政府観光局』の男は言った。

ボンベイのことしかわからないなら、看板は『ボンベイ観光局』とか『マハーラーシュトラ州観光局』とでも書いておけ!
百歩譲って、インド政府が運営するボンベイ観光局を『インド政府観光局』と略しているのだとしても、せめてアマチュアではなくプロフェッショナルな人材を配しておいて欲しいのである。
『みどころいっぱい!ボンベイ1日観光ツアー』のパンフレットを手に、深いため息のもれるボンベイ国内線空港の朝であった。

※1995年10月当時、ムンバイはボンベイという名前でした